鐵砲洲稲荷神社

中央区湊1-6-7 (平成22年5月22日)

東経139度46分58.8秒、北緯35度40分9秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
営団日比谷線「八丁堀駅」(A2)より徒歩10分の所にあります。

御祭神 宇迦之御魂大神・豊受姫大神
御由緒
仁明天皇の御代、承和八年四月十五日に創祀。年来打續く冷害凶作に教へられ、江戸湾海岸櫻田村の住民が、宇迦之御魂の大神を祀って豊年を恵まれた。菜畠稲荷と称した。次に今の新京橋の所に遷って八丁堀稲荷と称した。次に鐵砲洲に遷って今日に至る。
東京都神社庁公式サイトより。

『江戸名所図会』には次のように紹介されている。
湊稲荷の社(みなといなりのやしろ)――高橋の南詰めにあり。鎮座の来由、詳(つまび)らかならず。この地は、廻船入津の湊にして、諸国の商ひ船、普(あまね)くここに運び、碇(いかり)を下ろして、この社の前にて積むところの品をことごとく問屋へ運送する。このゆゑにや、近世(ちかごろ)、吉田家より湊神社の号を贈らるる。当社は南北八丁堀の産土神(うぶすな)なり。また、この川口の北に監船所(ふなやくしょ)がありて、船の出入りを改めらる。(『事跡合考(じせきがつこう)』〔柏崎具元、18世紀中ごろ〕にいふ、「この祠(やしろ)、昔は八丁堀一丁目の南岸にありしが、この地、年月を重ねて、家居立ちつづきかれば、八丁目の大川はしに遷せし」とぞ)。

鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(1624)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(1868)現在地に移転し、今日に至っています。
関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(1935)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向い合うように配置され、境内西南隅に神輿庫が設けられています。また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図絵」にも描かれた有名なものでした。
境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、供に中央区民文化財に登録されています。
中央区教育委員会。原文はこちら。

鐵砲洲稲荷神社公式サイトはこちら。

大鳥居

入口左右の可愛い狛犬

(年代不明)

拝殿

稲荷神社らしからぬ、筋肉むきむきの招魂社系狛犬です。拡大写真はこちら。

(年代不明)

本殿

摂社八幡神社

随身さん

社務所

末社富士浅間神社

小さい狛犬のようですが、丁寧に彫られているように見えます。

力石

神楽殿