新川大神宮

中央区新川1-8-7 (平成26年12月21日)

東経139度47分10.03秒、北緯35度40分28.44秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
日比谷線、東西線「茅場町駅」、日比谷線、京葉線「八丁堀駅」より徒歩10数分の所に鎮座しています。再建を協賛した会社名には私にとって馴染みのある会社名が数社ありました。

御祭神 天照大御神・豊受大御神

御由緒
新川大神宮の由来は、伊勢内宮の社僧慶光院所蔵古文書『慶光院由緒』並に江戸名所図会に詳しい。
当宮は慶光院周清上人が寛永二年(1625年)徳川二代将軍から江戸代官町に屋敷を賜り、邸内に伊勢両宮の遥拝所を設けられたのに始まり、其後明暦三年(1657年)江戸の大火で類焼したので、この年替地を霊岸島に賜り社殿を造営、以来実に三百年を経た。
爾来当地は河村瑞賢が隅田川に通ずる水路を開いて舟揖の便に利するに至って新川と称し、当宮を中心として酒問屋櫛比し殷賑を極め今日に至るまで酒類の一大市場となった。
当宮は夙に当地産土神として庶民の崇敬を聚め、特に酒問屋の信仰篤く、毎年新酒が着くとこれが初穂を神前に献じ、然る後初めて販売に供した。
明治維新により幕府の庇護が絶えてからは専ら酒問屋の守護神として崇敬厚く奉斎し来ったが、昭和二十年(1945年)三月九日の戦災に罹り社殿を烏有に帰した。
その後、新川も戦災焦土で埋め旧態を失ったが、再び往時の繁栄を恢復しつつあるのは全く当宮御神威の賜ものである。
偶々昭和二十七年(1952年)が講和条約発効独立恢復の年に当る故を以って、酒問屋有志は深く当宮の御神徳を景仰し感激措く能わず、即ち社殿の再建を発起し、洽く協賛を全国同業者に求めて同年五月七日地鎮祭、九月五日上棟祭、十月十七日竣工遷宮並に例大祭を執行、聊か神慮に応え奉り、敬神崇祖の微衷を捧げた次第である。
茲に当宮再建の由来を記し、同業協賛の美挙を載せて後世に伝えるものである。
境内案内板 より

入口

手水舎

管理人の一言。御神徳を称える企業が並んでいます。私も日ごろお世話になる、企業がいくつか並んでおります。

拝殿

振り返って

かつては天祖神社と呼ばれていたようです。 酒問屋の信仰篤く