中央区日本橋堀留町2-1-13 (平成25年7月28日)
東経139度47分05.50秒、北緯35度41分04.37秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
都営浅草線、東京メトロ日比谷線「人形町」駅より徒歩数分の所に鎮座しています。御朱印は神社より離れた化粧品屋さんでもらう。御主人が日付を入れてくれる。御主人が「少し時間がありますか ?」と尋ねられ、「ハイ」と返事。話は止まらない。お話は面白かったのですが、こちらの時間の都合で中断(御主人の写真を撮る)して、退去しました。
御祭神 三光稲荷大神(立像大神)・田所稲荷大明神(立木柱像)
御由緒
今の三光稲荷は「江戸惣鹿子」(元禄2年、1689年)によれば「はせ川町、三十郎稲荷」とあるがそれといわれ、名人芸をうたわれた歌舞伎役者、関三十郎(2代目)の屋敷内に勧請されていたので、その名があったが、それがいつとはなしに三光稲荷とあらたまったとされている。
<中略>
堺町(いまの芳町2丁目一町会史編集時の町名)中村座で出演した大阪の歌舞伎役者、関三十郎が演技中、場内に霊光(電光ならん)のごとき閃きあり、観客は彼の芸体に放光せし如く見えて賞賛され名声を不動のものにしたと伝えられている。彼は伏見稲荷の神爾を庭内に奉斎しているので、これは神明の加護によるものと、自分の三と光の2字もって三光稲荷と称し、これを長谷川町(明暦以降 長谷川久兵衛なる人がひらいたので長谷川町と名づけられた、現堀留2丁目)の建石三蔵(商号下三木木綿問屋でこの地の大地主)が庭内に安置し、町内の氏神として宗敬したといわれる。この三光稲荷は、もとは人形町3丁目に接する道路に面していて、その前通りを三光新道と称されていた。また三光新道の人形町寄りに吉原をかこむ「おはぐろどぶ」があった。これが昭和8年の区画整理後、現在地に移転しその通りを三光新道とよばれるようになった。こうした縁起の三光稲荷は、古くから娘 子供、芸伎等の参詣するものが多く、こと猫族守護神として猫を見失ったとき立願すれば霊感ありといい、鼠余の守札なども出していたようである。
当神社しおり より
入口と参道
他方の入口と参道
他方の入口と参道 | 社号標 |
社号標は新宿区下落合、三島徳七 (東大教授ー治金学)、二三子ご夫婦が、愛猫の不明に際し当神社に祈願したところ、三か月振りに無事帰った御礼に建立したものである。
神社入口と鳥居
赤い目と口の岡崎型狛犬 | |
社殿
内部
神社全景
御朱印