純子稲荷神社

中央区日本橋茅場町3-13 (平成24年12月6日)

東経139度46分58.88秒、北緯35度40分27.91秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
東京メトロ「茅場町」駅、1番出口より徒歩数分の所に鎮座しています。谷崎潤一郎著「幼少時代」で、映画や紙芝居などがなかった昔は毎月それぞれの神社にて奉せられた神楽が楽しみだと書いています。それぞれの神社のなかに当神社(亀嶋の純子稲荷)も含まれています。当時は神楽殿を備えてる神社だったのです。再建立御鎮座、昭和48年となっています。関東大震災と東京大空襲で焼失したのでしょう。
近くに「大震火災遭難追悼碑」(関東大地震)と「戦災遭難死者慰霊碑」(太平洋戦争での空襲)の石碑があります。

御鎮座 元和二年十一月二十日(来戸注 ・元和二年は1616年)
再建立御鎮座 昭和四十八年 (1973)四月二十日
神璽 伏見稲荷大社
御神名 純子大神
御祭神 豊受大神・宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四之大神

『日本橋区史』には次の記載がある。
はじめ徳川氏入国後、町奉行所内の千代田稲荷の分霊を勧請し、岡崎町・亀島町の2カ町、組屋敷に居住せる与力同心の鎮守であったが、維新の際、純子稲荷一柱を届け出て以来、町内鎮守となった。

由緒書きの末記には「元文二年(1737)十一月二十日」とあります。元和か元文か、どちらが正しいのか?

正面入口

神額 社号標

手水舎

社殿

神額

新亀島橋より、写真左は当神社の裏側、右の二つの石碑は、向かって左側が「戦災遭難死者慰霊碑」 (太平洋戦争での空襲)で、右側が「大震火災遭難追悼碑」(関東大地震)です。