宝珠稲荷神社

中央区銀座3-14-15 (令和7年9月6日)

東経139度46分21.28秒、北緯35度40分00.90秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この神社は、東京メトロ日比谷線・東銀座駅の北東150m程の辺り、銀座の街中に鎮座しております。
慶長20年(1615)三河国深溝藩主板倉重昌の屋敷神として祀られたのに始まる。

御祭神 宇迦之御魂神

由緒
宝珠稲荷神社は1615年の頃三河の国深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり
内膳匠重昌は京都所司代及江戸町奉行として令名高かりし板倉勝重の次男として1588年 後陽成天皇の御代天正13年(1585)の頃の生れである 重昌は武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣 島原の乱等に追討軍令として鎮台に務めたるも不幸にして島原に於て年令50才にして戦死したるものなり
時の将軍は家光であり第110代後光明天皇の御代である内膳匠の兄周防の守重宗は下總の国関宿の城主なり 年経て1760年宝暦年間岩見の国津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり
明治の維新に於ける亀井滋玄の功積は太鼓稲荷と共に有名なり 更に大7年(1918)岡山の岡崎家に売却されたるも爾来本神社は敷地と共に地元木挽町3丁目氏子に寄進せられ1950年地元氏子有志相計り隣接地を買収し社殿及社務所を建設して今日に至るものなり
境内由緒書き より。

社号標と神社入口

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

社殿

神額

社殿縁側のお狐様

屋根上の飛狛