茶ノ木神社

中央区日本橋人形町1-12-11 (平成22年5月22日)

東経139度47分12.8秒、北緯35度40分49.89秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東京メトロ半蔵門線、水天宮前駅より徒歩5分の所にあります。

御祭神 倉稲魂大神
御由緒
茶の木神社は、下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷にあった守護神として祀られていました。社の周囲にめぐらされた茶の木が見事だったことから社名が名付けられました。屋敷内だけでなく周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、火伏の神と崇められました。昭和 60年には布袋尊を遷座して、日本橋七福神の布袋尊としても信仰を集めています。布袋尊は福徳円満の神として広く信じられています。

茶ノ木神社(布袋尊)
「お茶ノ木様」と町内の人々に親しまれている茶ノ木神社の御祭神は倉稲魂大神で伏見系の稲荷様である。
昔この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の城主大老堀田家の中屋敷であって、この神社はその守護神として祀られたものである。社の周囲に巡らされた土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、芝と茶の木の緑が見事であったと伝えられている。
その中屋敷内は勿論のこと周囲の町方にも長年火災が起こらなかったため、いつのころから誰言うともなく火伏の神と崇められ、堀田家では年一回初午祭の当日だけ開門して一般の参拝を自由にされた由「お茶ノ木様」の愛称で町の評判も相当であったと伝えられている。
また、新に昭和六十年布袋尊を御遷座合祀申し上げて日本橋七福神詣りに加わることになった。
布袋尊は実在した中国唐代の禅僧で、阿弥陀菩薩の化身といわれている。福徳円満の相が喜ばれ、世の清濁を併せ呑む大きな腹をして袋の中にいっぱいの宝物を入れ、人々に福運大願を成就させる和合成就の神様として崇められている。
境内由緒書より。原文はこちら。

佐倉茶
明治4(1871)年、廃藩置県により佐倉藩が解体されると、旧藩士の授産のために、佐倉に産業を興そうという活動が行われました。その一つが、倉次亨(くらなみ・とおる)が中心になって興した製茶業です。
倉次亨を中心とする旧佐倉藩士たちが起こした「佐倉同協社」は、試行錯誤を重ね明治8年に最初のお茶を摘み取りました。その翌年にはニューヨークに輸出され、大好評を博しました。
株式会社小川園 (千葉県佐倉市)佐倉茶物語 より抜粋

管理人の一言。
明治末、セイロンやインドに負ける迄、日本の緑茶は、世界市場で紅茶と並び、広く愛飲されたようで、勿論欧米人は緑茶にもミルクを入れて呑んでいたようです。明治四十二年、清水港に抜かれる迄、横浜港が茶の輸出量日本一だったそうですから、佐倉茶は横浜からアメリカへと渡って行ったと思われます。輸入量の方が輸出量を圧倒している現在からは、信じられないが、当時は生糸と並び重要な輸出品であったと云うことです。

茶の木神社公式サイトはこちら。

神社全景。左右の植え込みはお茶の木。

社殿の彫刻

神額

日本橋七福神の一、布袋尊。