天祖神社

豊島区南大塚3-49-1 (平成26年7月12日)

東経139度43分51.33秒、北緯35度43分38.42秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
山手線「大塚」駅南口より徒歩数分の所に鎮座しています。境内には4組の狛犬が居ました。

御祭神 天照皇大御

御由緒
天祖神社は今からおよそ六百数十年前、即ち元亨年間、当時武蔵国豊島郡の領主であり、豊島氏中興の祖といわれた景村のとき、巣鴨鎮護の神として祀られた、と伝えられている。
江戸時代、鬼子母神の信仰が旺んになり一時十羅刹女神を併せ祀ったこともあるが、明治になって分離された。当神社は神明宮ともまた神明社ともいわれていたが、明治5年、ご祭神の伊勢の皇大神宮が、天津御祖の大神であるところから、天祖神社と改稱され今日に至っている。
当社石碑 より

天祖神社は、昔の巣鴨村(今の豊島区のほぼ半分、巣鴨・西巣鴨・北大塚・南大塚・東池袋2〜5丁目・上池袋1丁目)の鎮守さまで、鎌倉時代末の元亨年間(1321〜1324)に、領主の豊島氏が伊勢の皇大神宮の神さまをお迎えしてお祭りしたのが最初だと言われております。明治6年に天祖神社と名前が変わるまでは、神明社・神明宮と呼ばれていて、江戸時代には十羅刹女堂も境内に祀られていました。
当神社公式サイト より

大塚駅南口より見る、参道入口と都電(荒川線)7000形。

二の鳥居

米軍の空襲を免れたか、良好な保存状態の子育て、江戸流れ。拡大写真はこちら。
(嘉永5年(1852)建立)

手水舎

拝殿

ふんぞり返る招魂社型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

拝殿内部

本殿

菅原神社・熊野神社・厳島神社

堂々とした江戸流れ、破損が残念!。拡大写真はこちら。
(年代不明)

左より菅原神社・熊野神社・厳島神社

左、稲荷社と右、棒名社・三峰社

稲荷社 棒名社・三峰社、右側狛犬は木に隠れています。
末社を護る、鈴昭和。拡大写真はこちら。
(年代不明)

御朱印