千代田区神田三崎町2-9-12 (令和5年11月2日)
東経139度45分28.22秒、北緯35度41分54.39秒に鎮座。
御祭神 宇迦之御魂神・須佐之男神・大市姫神・大物主神
かって神田から本郷にかけては三崎村と呼ばれており,その村の鎮守として出来た神社である。日比谷入江に突き出した「岬」だった為にその名が付いたものと思われます。しかしその時から稲荷神社だったのだろうか。徳川家康は江戸の町造りの為に、駿河台の山を削り,その土砂でもって日比谷入江を埋め立た。その為現在の鎮座地に近い文京区に移転させられたようです。さらに万治2年(1659)江戸城の外堀になる神田川の改修工事が持ち上がり、再度移転させられた。幕末になり,幕府は「講武所」を設置を計画。三崎稲荷神社は3回目の移転を余儀なくされる。そして最後が明治38年(1905),甲武鉄道(今のJR中央線)開通の為,4回目の移転をして、現在の地に鎮座されたと言う。
三代将軍家光が自ら参拝し三崎稲荷を崇敬するばかりでなく、大名たちにも信仰を進めたようです。以来、参勤登城する大名は必ず、三崎稲荷に参拝し心身を清めたそうです。ここから三崎稲荷は「清めの稲荷」とも称されていたようです。
JR水道橋駅東口のすぐ近くに鎮座しています。ここからは若干距離のある神田神保町の交差点にも例大祭の幟が立っています。どうも神社より祭りが有名なようです。
神社入口
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和31年(1956)1月9日建立)
拝殿内部
拝殿内の神殿狛犬
本殿
手水鉢
手水鉢の狛犬
お百度石