太田姫稲荷神社

千代田区神田駿河台1-2 (平成23年5月27日)

東経139度45分58.74秒、北緯35度41分35.52秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR御茶ノ水駅「聖橋口」より南へ徒歩6分程の所に鎮座しています。元宮を示す椋の木は「聖橋口」近くにあります。周囲には明治大学、日大のキャンパスがあります。参拝した時は宮守の方が榊を選定中でした。綺麗に管理された境内でした。

御祭神 倉稲魂尊・菅原道真・徳川家康
御由緒
社伝によると、室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)に罹って生死の境をさまよい、京都の一口稲荷神社(いもあらいいなり)が小野篁にまつわる縁起により天然痘に霊験があると聞いた道灌が一口稲荷神社に娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したという。道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457年)に一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築いたとされる。後に城内鬼門に祀られた。
徳川家康の江戸入府後、慶長11年(1606年)に江戸城の改築により、城外鬼門にあたる神田川のほとり(南側・右岸)(現在の東京都千代田区神田駿河台4丁目、後に架けられた聖橋南詰の東側)に遷座した。
明治5年(1872年)、村社に定められ、名も太田姫稲荷神社と改めた。大正12年(1923年)の関東大震災では社殿が焼失、湯島天神に避難したが、昭和3年(1928年)に再建された。昭和6年(1931年)に、御茶ノ水駅の総武線拡張(昭和7年には、御茶ノ水 -両国間が開通)により、現在地に遷座した。淡路坂上の旧社所在地で御茶ノ水駅臨時改札口脇に残された椋の木には元宮を示す木札と神札が貼られている。
神社縁起によれば、「太田姫」とは道灌の娘という意味ではなく、小野篁に現れて疱瘡に罹らないように祀れと告げ、また、道灌に狐の姿で現れて江戸城鬼門に祀れと告げた「太田姫命」のこと。
ウィキペディア  より

境内由緒書はこちら。

神社遠景

神社入口

手水舎&宮守の人

狛犬は、どういう経緯でここに置かれているのでしょうか。

拝殿

太鼓に乗る狐


境内社:金山神社

御祭神 金山彦命・金山姫命
御由緒
本神社の「金山様」は江戸時代、幕府の金貨・銀貨を作る役所「金座」「銀座」の霊顕あらたかなる守り神として崇敬され居りたり。原文はこちら。

太田道灌公供養碑

側面

元宮案内

太田姫神社
太田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開創した時江戸城の結界また鬼門の護り神として江戸城内よりこの地に移された。
昭和六年(1931)総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る。
尚鐵道(「甲武線」中央線の前身)は堀の中にあり開通時天皇家との間に堀幅を減じない、中で商業を営まない、環境を守るとの約束がある(明治期鐵道史より)
この木は椋(むく)の木、落葉高木、花に緑、実は濃紫

椋の木&臨時改札口

御茶の水駅&神田川。上から、JR総武線、JR中央線、地下鉄丸ノ内線。