今戸神社

台東区今戸1-5-22 (平成22年1月13日)

東経139度48分24.4秒、北緯35度42分58秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
この神社は東京下町八社(縁結び)と言う事で、大勢の若い女性が一生懸命、絵馬に願いを書いていました。
浅草名所七福神(福禄寿)と言う事で、昔若かった女性も多かった。
この辺は招き猫発祥の地と言う事で、拝殿に招き猫、境内に石碑がありました。(共に二匹、ここが大切なのでしょう)。

御祭神:應神天皇(おうじんてんのう)・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)・福禄寿(ふくろくじゅ)
御由緒
後冷泉天皇康平六年(1063年)、京都の石清水八幡を勧請し今戸八幡を創建。昭和十二年七月に白山神社を合祀、今戸神社と改称。應神天皇の御神徳は武運長久と慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としています。
東京都神社庁公式サイトより。

 当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に至り、京都の石清水八幡宮を鎌倉鶴ヶ丘と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
 應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
 伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比盗_社の御祭神にして、嘉吉元年(1441)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。
 昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
 今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。
境内由緒書より。全文はこちら。

管理人の一言。
実は我々も平成14年に参拝しております。しかし、デジカメを持って神社参拝を始めたばかりの頃で、写真も内容もお粗末で、お恥ずかしい限りです。この度、剣貝さんよりず〜と綺麗な写真をお送り戴いたので、全面リニューアルして再登場となりました。

神社入り口

網に覆われ見づらいのですが、渋いとても良く出来た狛犬のようです。拡大写真はこちら。

参道途中の茅の輪

参道途中の鈴昭和狛犬

拝殿

剣貝さんの言われるように、若い女性がこれだけいる神社は珍しいかも知れません。良縁を願っているのでしょうか。

女性達の願いを込めた絵馬・絵馬・絵馬・絵馬・・・・・・・・・

発祥の地にふさわしい一対の招き猫

石碑。今戸焼の説明はこちら。

沖田総司終焉之地と書かれた碑が立っています。
辞世の句は「動かねば闇にへだつや花と水」とされる。墓所は、東京都港区元麻布三、専称寺ほか。専称寺による戒名は「賢光院仁誉明道居士」。また、沖田家累代墓碑には天然理心流の他、北辰一刀流の免許皆伝を得ていた旨も記されている。
なお、没時年齢については沖田家累代墓碑の24歳、沖田家文書の25歳、『両雄士伝』(小島鹿之助)における上洛時の年齢(22歳)から計算した27歳の3説が存在する。また、終焉地も千駄ヶ谷のほか、今戸(台東区)説もあるが、現在では、今戸に一時逗留した後に千駄ヶ谷に移り、そこで亡くなったとする説が有力である。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。