矢先稲荷神社

台東区松が谷2-14-1 (平成23年5月8日)

東経139度47分26.79秒、北緯35度42分37.29秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
つくばエクスプレス「浅草」駅(地下)より西へ徒歩10分程の所に鎮座しています。途中にかっぱ橋道具街があります。

浅草三十三間堂跡
『文政町方書上』によると、寛永十九年(1642)十一月二十三日、弓師備後が浅草において、幕府から六千二百四十七坪八合の土地を拝領し、三十三間堂を創建した。位置はこの付近一帯と推定される。
堂創建に際し、備後は矢場(弓の稽古場)を持つ京都三十三間堂にならい、堂の西縁を矢場とし、その北方に的場を設けた。ここでの稽古は京都の例にならって、堂の長さを射通す「通矢」の数を競った。
元禄十一年(1698)九月六日、世に「勅額火事」と呼ぶ江戸大火が起こり、三十三間堂も焼失。跡地は公収された。同十四年に替地を給され、三十三間堂は深川に移転して再建。以後、両者を区別するため、浅草・深川の地名を冠して呼ぶのが通例になった。
矢先稲荷神社は的場に隣接していたのにちなみ「矢先」の名が付されたという。
台東区教育委員会。原文はこちら。

御祭神 倉稲魂命
御由緒
寛永19(1642)年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。
三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、大いに流行したようです。この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。いまからおよそ360年前のことになります。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀りります。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進され、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっています。
浅草名所七福神 矢先稲荷神社 より

平成24年1月14日、来戸さん、浅草七福神巡りをされたようです。そのおり社殿内部に入れましたので、その時の報告と言うことで内部の写真を送って戴きました。後に追加してあります。

鳥居

社号標と社額

参道&手水舎

拝殿

社額

福禄寿。浅草名所七福神の福禄寿は今戸神社にもあります。浅草名所七福神は九社寺もあるのです。

本殿

脇入口&狛犬

神楽殿&神輿庫

神社界隈
一番賑わってる店と商品

東京人には説明不要なかっぱ橋道具街なのだが、東京人以外は多分ご存じないと思われるので、若干解説します。
かっぱ橋道具街と言っていますが全ての道具を売っている訳ではありません。なんと厨房道具、といっても家庭用では無く、プロの板前やシェフ等が使う道具が中心です。勿論素人の我々が行っても売ってくれますので、腕に自信のある方はここの道具を使えば料理の質が上がること間違いありません。
剣貝さんも飲めないビールのサンプルをお土産に買ったようです。眺めているだけで飲んだ気分に浸れるのかも知れません。


以下来戸さんよりお送り戴いた文と写真です。

矢先神社はすでに剣貝さんが紹介していますが、拝殿内部に入りましたので、天井画の一部を紹介します。

拝殿の格天井には、神武天皇の御世から今 日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されています。人物、馬の姿態、武具、服装などすべてが精密な考証のもとに描き上げられていて、馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できる貴重なものであります。
浅草名所七福神 矢先稲荷神社 より

拝殿内部

百枚の天井絵

源 頼義

源 頼朝

神功皇后

神武天皇

藤原忠平

文室 綿麻呂

御朱印