玉姫稲荷神社

台東区清川2-13-20 (平成23年5月18日)

東経139度48分19.57秒、北緯35度43分25.29秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR「南千住駅」より徒歩10分の所に鎮座しています。通称、山谷の玉姫さま。二つの神社の参道は境内でクロスしています。

池波正太郎「鬼平犯科帳」に登場します。「浅草山谷の玉姫稲荷裏手の畑地にある小さな百姓家の中に、乙坂の庄五郎を見出すことができる。」
2−5密偵

「新鳥越町から寺院のたちならぶ東がわへ切れこみ、道をおれまがて行くと、前方に、ひろびろと塩入土手の田地がひらけてくる。その一角玉姫稲荷の社殿のうしろの木立へ・・・・」
4−2五年目の客

御祭神 宇迦之御魂命
御由緒
社伝に天平宝宇四庚(760年)の創建とあり、享保年間に出版された『江戸砂子』に「新田義貞朝臣、鎌倉の高時を追討のみぎり、弘法大師の筆の稲荷の像を襟掛にしたまひしを、瑠璃の宝塔にこめて当所におさめまつり給ふ。故に御玉ひめの稲荷と申のよし。」
東京都神社庁 都内神社の紹介 より

神社全景

拝殿

社額

拝殿前の初期岡崎型狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿


末社


摂社:口入稲荷神社
江戸新吉原にあった高田屋という口入宿(今でいうところの職業安定所)の邸内に年久しく鎮座してありましたが安永年間の頃、此の高田屋の主人が或夜夢に口入稲荷大神があらわれまして吾を玉姫稲荷神社の境内に遷し祭れば参詣する信徒の人々に今よりも尚一層御利益を授け、又、諸々の願い事を速やかに叶えさせるとのお告げに依りまして、以来当社境内摂社として鎮座してしております。

拝殿右側に沿って進み、左に曲がりますと正面に穴が祀られており本殿床下への入口になっています。(どこかで体験したような?5月7日に参拝した花園稲荷神社の穴稲荷によく似ています)

祈願にあたっては、先ず羽織を着て草履を履いた立姿のお狐さんのお姿をうけて持ち帰り神棚におまつりし、願いが成就しましたらば更にもう一体を受け、一対にして御礼を申し上げるようにする慣わしとなっています。
「良縁祈願」にあたっては裃を着たお狐さんのお姿にて祈願することとなっています。 昔は花柳界の女性がいいダンナがほしい時、おがみにいきました。帰りにメスのお姿を受けてくる。おきつねさまが、かけずり回っていいダンナをみつけてくれる。すると「よくやってくれた」っていうんで、オスのおきつねさんと一緒にして神社に返す。ということです。 拝殿内にいっぱいありました。当神社のしおりを参考にしました。

口入稲荷神社・入口

拝殿

社額

拝殿内外のお返し
拝殿脇
本殿下・穴 本殿

御朱印

社務所前より

江戸名所図絵に見る妙亀明神社・浅茅が原・玉姫稲荷。