花園稲荷神社

台東区上野公園4-17 (平成24年2月16日)

東経139度46分32秒、北緯35度42分37.96秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
上野公園大通りに面して参道入口があります。入口から社殿までの道は稲荷坂(今は階段)を下っていきます。穴稲荷の参道は薄暗く演出?されており、現社殿を上神殿、穴稲荷を下神殿の感があります。最初に参拝した時、雨がひどくなり中断。翌 日3社周った後行きましたが、上野公園いい天気で賑わっていました。誘惑も多く残り2社は翌日にしました。1日で周る予定が3日間かかりました。御朱印は五條天神社社務所で受けますが、法人は別です (巫女さん談)。

御祭神 倉稲魂命

御由緒
御創祀の年月は不祥です。古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷(あないなり)とも云われていました。承応三年(今から340年前)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも云う)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。後、明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)お穴様の左奥にありますお社は、古書に弥佐衛門狐と記され、寛永寺が出来る時忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐み、一洞(ほこら)を造り社を祀ったと云われます。
花園神社の御縁起  より

神社入り口

垂れ耳の犬の様な江戸尾立狛犬。拡大写真はこちら。

(宝暦3年(1753)癸酉12月吉日建立)
稲荷坂
花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。享保十七年(1732)の「江戸砂子」にその名がみえ、明治二十九年(1896)の『新撰東京名所図会』には「稲荷坂、忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ」とある。

境内

手水舎

現社殿

石窟(穴稲荷)への入口
石窟の上の旧社殿 旧社殿・裏
参道 正面・弥左衞門狐の社

俗称、穴稲荷

石窟と社殿

忍坂から入る参道

鳥居前・上野公園大通り

御朱印