江島杉山神社

墨田区千歳1-8-2 (平成23年6月12日)

東経139度47分45.5秒、北緯35度41分17.25秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
両国駅より南へ、「一の橋通り」を進み一之橋(旧一ツ目之橋)を渡り進みますと東側に鳥居があります。もうひとつ神社の南側にも鳥居が有り近くに「焼け銀杏」があります。この銀杏は「関東大震災」で焼けたのか、「東京大空襲」で焼けたのか確認できませんでした。(両方?)一ツ目之橋:竪川に架かる橋で大川(墨田川)より数えて一つ目の橋。二ツ目之橋、三ツ目之橋とつづきます。(現在はその間に多くの橋が架かっています。)

御祭神 市杵島比売命(いちきじまひめのみこと)・杉山和一検校(すぎやまわいちけんぎょう)・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・大国主命(おほくにぬしのみこと)
御由緒
綱吉は高齢の和一が、江戸から江ノ島弁財天まで月参りをしていることを不憫に思い、元禄6年(1693)に当地、本所一つ目に3000坪余りの土地を与え、そこに弁財天を分社して祀らせた。これには、次のような逸話がある。将軍綱吉が「何か欲しいものはないか」と尋ねたところ杉山和一は「唯一つ目が欲しゅうございます」と答え、その要望に綱吉は本所一つ目と呼ばれていた地に宅地を与えたという。
当神社公式サイト より

江島杉山神社(一ツ目弁天)由緒と沿革
御祭神 市寸嶋比賣命・杉山和一大人命・大国主命
市寸嶋比賣命
当社は神奈川県藤沢市江ノ島にある江島神社の御分社であり、弁財天を御祀りしている。本社江ノ島を模して造られた岩やには宇賀神様(弁財天)、宗像三神の姫神の石像が祀られている。もとはインドの川の女神で音楽や滑らかな弁舌、知恵や学問の神として崇められた。日本に渡り、宇賀神、宗像三神とも複合して、日本独特の弁財天が生まれた。
杉山検校
杉山和一は慶長十五年(1610)、伊勢津に武家の長男として生まれる。五才の頃疱瘡にかかり失明。江戸の盲人鍼医山瀬琢一に師事。必死で修行をするが、生来の不器用さのためか技術が身につかず、破門されてしまう。失意のうちに伊勢に戻る道中、京都で倒れてしまうが、幸いにも山瀬の師である入江良明の門前であった。子の豊明の元で手厚い看護を受け、入江家で再び鍼術の勉強を始めるが、盲目の身では限界があると感じ、神仏におすがりするほかにないと、江ノ島弁財天の洞窟で十七日間の断食祈願をする。業の明けた日、洞窟から海岸に向かうと大きな石に躓き倒れてしまうが、何か足にチクリと刺さる物を手に取ってみると、筒の様になった笹の葉に松葉がくるまっていた。「これだ。いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事ができる。」こうして管鍼術が考案された。
この後江戸で開業。六一歳で検校(盲人の最上級の官名)となり、鍼治学問所を開き、世界初の盲人教育の場を作った。
五代将軍綱吉公の難病を治療した功により、八二歳の時「望みの物を」という綱吉公に「ただ一つ、目が欲しゅうございます。」と答え、ここ本所一ツ目に領地を賜り、弁財天を招来して祀ることを許された。

江島杉山神社の由緒
世界一がある神社
本社は江島杉山神社といい、神奈川県藤沢市の江ノ島弁財天(市杵島比売命)と、鍼術の神様・杉山和一(1610〜94年)総検校がまつられています。
弁財天は、全ての願いをかなえてくれる神様ですが、特に芸能上達に通じています。
杉山和一は、鍼の神様、視覚障害者の先駆者、視覚障害者に鍼・按摩を職業として与えてくれた人として尊敬されています。
◎弁財天と杉山和一との関係
杉山和一は、三重県津市の出身で江戸時代初期の人です。幼くして失明し、江戸(現在の東京)に出て出瀬琢一に鍼術を学び、更に江ノ島弁天の岩屋にこもり鍼術の一つである管鍼術を授かりました。その後和一は、京都に行き入江豊明にも鍼術を学び、再び江戸に戻り鍼の名人として有名となりました。この和一の名声を聞いた五代将軍徳用網吉が、和一を「扶持検校」として召し抱え、日夜自分の治療に当たらせました。しかし、高齢だったために侍医・御典医という役職には就きませんでした。和一はすでに多くの弟子を教育していたので、代わりにその弟子達が江戸幕府や大名の鍼科の御典医となりました。
網吉は和一に、江ノ島弁天に月参りをして感謝しているのを不憫と思い、元禄6年(1693)5月16日に当地本所一つ目に1860坪余りの屋敷を賜い、同6月18目には弁財天像、先の屋敷内西側989坪余りに弁財天の社地を下賜しました。当地下賜の逸話に、網吉が和一に「何かはしいものはないか」と問われ、「一つ目が欲しい」との返答に当地が撰ばれたと言います。

◎本社の世界一
@管鍼の創案・鍼の神様がまつられている…和一は、鍼治療に際し管の中に鍼を入れるという方法を創案・大成しました。これは現在日本の鍼治療の方法の主流となっていて、世界にも伝わっています。
A杉山流鍼治稽古所…和一が延宝8年(1680)には視覚障害者に鍼・按摩を教育し、世界一古い障害者教育でもあります。江戸時代の後期より本社二の鳥居の手前・南側にその教育施設「杉山流鍼治稽古所 四間余二五問」が有りました。
B「贈正五位杉山検校彰徳』の石碑…二の鳥居の手前・南側、拝殿に向かい右手。和一の業績が認められ、大正13年2月11日に正五位が追贈されたのを記念にして作られた世界に一つしかない点字の石碑です。

◎その他
拝殿の右側の奥には、和一が江ノ島弁天の岩屋にこもり管鍼術を創案したことに由緒があり、それにちなんで岩屋があり、中には宗像三神・宇賀神(人頭蛇尾)、杉山和一の石像が祀られています。一度はご参拝ください。
また、杉山和一への感謝に集まる人と、それを理解し支える町内会の感謝の輪の社でもあります。

由緒書原文はこちら。

一之橋

神社入口

焼け銀杏

参道の神橋

太鼓橋より岩室入口

いわやみち

弁天池

岩屋

杉山和一総検校像

左、宇賀神
右、宗像三神

参道入口

参道

境内入口

境内入口の岡崎型狛犬
(昭和30年(1955)5月18日建立)

拝殿

杉田稲荷神社

杉山和一検校没後に、和一の位牌所として即明庵が建てられ、後に、鍼治講習所と江戸惣録役所もこの屋敷内に併設されたということです。その即明庵の跡に立つ「即明庵跡」の石碑。

「即明庵」裏 点字の石碑

「即明庵」裏の文章はこちらに詳しい。

御朱印