墨田区向島1-4-5 (平成25年9月22日)
東経139度48分28.64秒、北緯35度42分35.02秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線の内、浅草・押上 ⇔ 東武動物公園間の路線愛称名)「とうきょうスカイツリー駅」より徒歩数分の所に鎮座しています。私は境内の撫牛は頭部をなでて来ました。頭部表面の髪の毛がふさふさになるように、頭部内部の脳ミソがこれ以上老化しないようにと、願いをこめて。年配の女性は包丁塚の牛(食肉になった牛)をなでていました。本殿の裏側を撮って終わりにし、言問橋東交差点を渡ったら正面より水陸両用バスが来て、あわててバックよりカメラを取り出しました。何とか撮れました。
御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)・天之穂日命(あめのほひのみこと)・貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)
御由緒
貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。五年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行する。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いている。
東京都神社庁>都内神社のご紹介>牛島神社 より
貞観二年慈覚大師神託により須佐之男命を勧請し、後、天之穂日命を祀り、ついで清和天皇第七皇子貞辰親王を併せ祀り「王子権現」と称した。明治以前最勝寺が別当として管理し「牛の御前」とも云われたが明治初年「牛嶋神社」と改め郷社に列した。
神社名鑑 より
牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の、隅田公園に隣接して鎮座しています。古くは向島須崎町にありましたが、関東大震災後、昭和のはじめ現在地に再建されました。明治維新前は、本所表町の牛宝山明王院最勝寺が、別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を牛嶋神社と改めました。隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称したのです。神社に伝わる縁起書によりますと、貞観二年(860年)に慈覚大師が、御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀、後に天之穂日命をまつり、次いでこの地でなくられた清和天皇の第七皇子貞辰親王命がまつられました。牛嶋神社の御祭神は、この三柱の神々であります。
当神社しおり より
本所及牛嶋の鎮守なり。北本所表町最勝寺持。祭神素盞嗚尊は束帯坐像の画幅なり。王子権現を相殿とす。本地大日は慈覚大師の作縁起あり信しかたきこと多し。其略に、貞観二年慈覚大師当国弘通の時行暮て傍の草庵に入しに、衣冠せし老翁あり云。国土悩乱あらはれ首に牛頭を戴き悪魔降伏の形相を現し国家を守護せんとす。故に我形を写して汝に与へん我ために一宇を造立せよとて去れり。これ当社の神体にて老翁は神素盞嗚尊の権化なり。牛頭を戴て守護し賜はんとの誓にまかせて牛御前と号し・・・・
新編武蔵風土記稿
京都、八坂神社のように明治になって御祭神を牛頭天王から須佐之男命に換えられたという訳ではないようです。勝手な想像だが、創建時は牛頭天王と婆利采女との間に生まれた七男一女「八王子」を祀っていたのではないでしょうか。
江戸名所図会に見る牛御前宮
墨田公園(水戸徳川邸跡)より西側入口へ(写真01_1)
西側入口(写真01_2)
東側入口(写真02_1)
東側参道より見る東京スカイツリー。2008年7月14日の安全祈願祭は当社の宮司が執り行ったそうです。
正面入口(写真03)
関東大震災で倒れた先代をモデルに造られたのか。拡大写真はこちら。 | |
(昭和7年(1932)9月建立) |
神楽殿&手水舎
日時計と撫牛(なでうし) | |
撫牛の風習は、江戸時代から知られていました。自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおるというものです。牛島神社の撫牛は体だけではなく、心も治るというご利益があると信じられています。また、子どもが生まれたとき、よだれかけを奉納し、これを子どもにかけると健康に成長するという言い伝えもあります。この牛の像は、文政八年(1825)ごろ奉納されたといわれ、それ以前は牛型の自然石だったようです。明治初期の作家、淡島寒月の句に「なで牛の石は涼しき青葉かな」と詠まれ、堀辰雄は『幼年時代』で「どこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだった」と記すように、いつも人々に愛されてきました。 墨田区教育委員会案内板 牛頭天王と撫牛 撫牛は、疫病の神として畏怖された牛頭天王とも深いかかわりをもっている。牛頭天王は、京都八坂神社の祭神で「荒ぶる神」の系譜に属することで知られる素戔嗚尊(スサノオ)と同一視されており、牛頭天王信仰では、その強い霊威を信じて敬えば疫病を免れると伝承される。文政8年(1815年)頃に奉納された石製の撫牛で著名な向島の牛嶋神社はスサノオを祭神としており、ここにみられる撫牛信仰は、牛頭天王信仰に淵源を発するものと考えられる。 ウィキペディア より |
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境内
三輪鳥居と拝殿
東側境内入口 | 西側境内入口 |
狛犬の配置。いずれも墨田区登録文化財。 | |
どっしりと重量感溢れる江戸尾立。吽の損傷が残念。拡大写真はこちら。 | |
(文化8年(1811)辛未2月吉日建立) |
江戸の職人技が光っています。獅子山の名品。拡大写真はこちら。 | |
(文政10年(1827)丁亥2月吉日建立) |
神牛&狛犬いずれも墨田区登録文化財。拡大写真こちら。 | |
犬を思わせる素朴な造り、墨田区内最古の狛犬。拡大写真こちら。 | |
(享保14年(1729)己酉9月15日建立) |
本殿&東京スカイツリー
小梅稲荷神社
慰霊包丁塚
人の世の 奉仕に生きる牛 黙す目魚
正面・牛慰霊庖丁塚建碑趣意 三竹會創立満八十周年記念 初代會長故御子柴竹次郎氏五十年祭 三竹會長御子柴晧資翁米寿祝賀 |
向かって右面・協賛團体 東京食肉環境衛生同業組合 東京食肉卸協同組合 芝浦枝肉取引員組合 芝浦臓器協同組合 |
石碑群
「いそかすは」の狂歌碑・墨田区登録文化財
いそかすは 濡れまし物と 夕立の あとよりはるる 堪忍の虹 談洲楼烏亭焉馬
国道6号線からの入口
本殿裏
牛島神社界隈「言問橋東」交差点を左折する水陸両用バス「スカイダック」
御朱印