墨田区錦糸4-15 (平成25年1月29日)
東経139度49分6.77秒、北緯35度41分41.23秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬小僧」さんより】
JR錦糸町駅北口から歩いて2〜3分の錦糸公園の一角に鎮座しています。
JR錦糸町駅に来たついでに、駅から近くてスカイツリーも背後に見える神社を探したところ、目と鼻の先に在ったのがこの神社でした。ここの手水舎は狐が四匹鎮座する神社で、センスの良さを感じる狐です。参道の狐四匹は籠の鳥状態で、少し残念でした。壊す輩が出没するのかな?関東大震災でも火災に遭わず、太平洋戦争の空襲でも生き延びた強運の稲荷です。
由緒
江戸時代此の地が湿地帯で荒廃していたので、寛文〜延宝(徳川四代将軍家綱)の時代に治水工事を行い、柳島村の守護神として祭られたと伝えられている。その後明治時代になって武家制度は廃止され武家下屋敷も解体されたが、この稲荷神社は保護されて郷土の守護神として残されました。其の後陸軍糧秣廠本所倉庫を此の地に建設した際、敷地整地に際しこの稲荷神社を取り払ったところ再三火災が発生し、そこで稲荷社を旧位置に再建して祀りし処、不思議にも其の後火災はまったくなくなりました。 大正十二年の震災でも稲荷神社は少しの被害も受けませんでした。昭和二十年三月十日の空襲にもこの稲荷社は少しの被害もなく多くの人が境内に避難し戦火を免れました。昭和二十九年千種講世話人相計り、戦後荒廃した稲荷社の整備計画が建てられ其の年より、玉垣、鳥居、参道、水屋、石燈籠、本殿の増改築工事を行い完了した。昭和三十年五月十八日付けを以って都に寄贈致し保存と管理を千種講が委任されました。昭和四十年四月から墨田区の公園となりました。
(以上 真宗末一・千種稲荷由来記より一部抜粋)
神社入口。右端に辛うじてスカイツリーが見えました。
横からの稲荷
一の鳥居
社号標 | 何の史跡なのでしょうか |
石燈篭 | 玉垣造営記念碑 |
御祈念文
木製の鳥居
籠の中の狐さん。拡大写真はこちら。 | |
(昭和30年(1955)建立) |
奥の鳥居
これも籠の中の狐さん。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
拝殿
向拝
向拝の白狐
手水舎と手水石。狐付きの手水舎もユニークですね。 | |
正面の飛び狐。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
左右のは先代様でしょうか。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
歌碑