熊野神社

杉並区和泉3-21-29(平成20年6月8日)

東経139度39分6.1秒、北緯35度40分22.97秒に鎮座。

 この神社は井の頭線永福町駅東約400m位の神田川沿いに鎮座しています。都会地にありながら鎮守の杜がしっかりと守られ、豊かな杜の中に身を置くと、ここが東京の真ん中…ということを忘れてしまいそうに、静かで落ち着いた佇まいの神社でした。
 入口には明神鳥居、参道には珍しい内宮源鳥居、白木の両部鳥居と鳥居も変化に富み、狛犬も3対もいます。境内正面の拝殿向拝には、有翼の龍、龍、木鼻は狛犬と社殿彫刻も豊富で、動きと気品のある見事な出来映えです。又境内社の稲荷神社には昭和生まれながら目元が涼しく優しそうな子連れのお狐様が素敵な姿で待っていました。

 御祭神:天御中主命、伊邪那岐命、伊邪那美命
 例祭日:歳旦祭・1月1日、熊野神社例大祭・9月第2土曜・日曜日、新嘗祭・11月23日、年越しの大払い・12月30日
 境内社:稲荷神社他
 由緒:この社は旧和泉村の鎮守で、現在も「和泉の鎮守さま」として、人々に親しまれています。
 社伝によれば、創建は文永4年(1267)に紀州(現在の和歌山県)の熊野神社より分霊を勧請ししたことに始まり、弘安7年(1284)に社殿を修造し、その後北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大いに社殿を修めたと伝えられています。
 江戸時代には寛永16年(1639)と元禄9年(1696)に社殿の改修をおこなったことが、棟札によってわかります。現在の社殿は文久3年(1863)の造営で、明治4年に修覆したものです。『新編武蔵風土記稿』は、江戸時代のこの社について「除地三百坪、村の北の方にあり、上屋二間四方、本社も五尺四方、拝殿二間半に二間、社前に木の鳥居を立」と述べています。
 明治7年には村社に列しました。
 境内からは、かつて縄文時代の土器・石斧・石棒、古墳時代の土師式土器なども出土しており、古い時代から人々が、この地で生活していたことがわかります。また、境内には徳川家光が鷹狩りの途中に休息し、その時に手植えしたと伝えられる松の大木もそびえています。
(境内案内より)

神社入口
一の鳥居は明神鳥居です。
社号標
参道途中の二の鳥居は
珍しい内宮源鳥居です。
階段途中の三の鳥居は
白木の両部鳥居です。
境内の様子
境内手前、明治4年生まれの狛犬
逞しい胸板と四肢を持ち、前足の後ろには沢山の毛をなびかせています。耳は半垂れで、鬣は短めの縦ロールの下に立体的な渦が二重に付けられています。尾はイソギンチャクの触手のような塊が背に張り付いています。吽の大きめの歯が目立ちます。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治4未年(1871)正月吉日建立)
拝殿前、昭和11年生まれの狛犬
顔つきはまるで異なりますが、体型はまるっきりダックスフントです。重量感のある上半身に短い前足が付けられ、薄いお尻には短めの変わった流れ尾が付いています。顔つきは体型とはうって変わって厳つく威厳に満ちています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和11年(1936)1月吉日建立)
拝殿
拝殿内の様子

向拝の彫刻・有翼の龍
向拝下の彫刻・玉を持つ龍と雲の蟇股
木鼻・狛犬
美形で彫りの良い木鼻狛犬です。
本殿
境内社入口と社殿
境内社前の痩せ形招魂社系狛犬
境内社:稲荷神社
ここのお狐様は、昭和生まれというのに目元涼しく優しそうで、好感が持てます。
(昭和12年(1937)3月吉日建立)
神楽殿 境内の様子
ご神木
杉並区指定樹の大赤松