荻窪八幡神社

杉並区上荻4-19-2 (平成29年11月2日) (令和5年9月17日再訪)

東経139度36分35.03秒、北緯35度42分27.05秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
JR中央線「西荻久保」駅より徒歩15分程の所に鎮座しています。途中、善福寺川を渡ります。

御祭神 応神天皇

御由緒
この神社は旧上荻窪村の鎮守で、今から約千八十年前の寛平年間に、応神天皇を祭神として建立されたとつたえられています。
永禄六年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、ここに宿陣して戦勝を祈願し、のち康平五年(1062)凱旋の時、神恩に感謝して当社を厚く祭ったといわれています。
また文明九年(1477)四月、江戸城主太田道灌は、上杉定正の命をうけ石神井城主豊島泰経を攻めるにあたり、源氏の故事にならってこの神社に武運を祈願しました。この時植えた槇(まき)の樹一株が、五百年の歳月が経過した今も「道灌槇」と呼ばれ、御神木として大切に保護されています。
なお、当社には、永仁二年(1294)、嘉慶二年(1388)、応永二十九年(1422)銘の板碑、その他土器や石器類、社宝の勝海舟の大幟(のぼり)、掛軸などがあります。
杉並区教育委員会

安倍貞任
(あべ の さだとう)は、平安時代中期の武将。安倍氏の棟梁で、奥六郡を支配する俘囚長・安倍頼時の第2子。厨川柵主として、安倍厨川次郎貞任とも。妹聟に藤原経清(奥州藤原氏初代藤原清衡の父)がおり、貞任と清衡は伯父と甥の関係にあたる。

豊島 泰経
(としま やすつね、生没年不詳)は、室町時代の武将。豊島氏当主で石神井城主諱の「泰経」は江戸時代に書かれた系図類に出ているもので、『鎌倉大草紙』や『太田道灌状』といった根本史料には「豊島勘解由左衛門尉」と官途名のみとなっており、江戸時代の系図類の信頼性の低さから、近年の研究者は諱の「泰経」は用いないようになっているが、本項では便宜上、広く知られた「泰経」を用いる。
いずれも ウィキペディア より

御朱印

正面入口、大鳥居

参道左側・町内神輿庫

参道右側

祓戸神社・琴平神社・須賀神社・稲荷神社・御嶽神社

手水舎

お狐様

正面・猿田彦神社、左・秋葉神社

手水舎

神額

秋葉神社

青梅街道側入口

社号標 鳥居&参道
保存状態も良く素晴らしい江戸流れ。拡大写真はこちら。
(安政2年(1855)乙卯8月吉祥日建立)

参道合流地点、手前正面の参道、右側青梅街道側の参道&祓門

手水舎

舞殿

神門

拝殿

振り返って

神額

本殿


道灌槇


例大祭時のみ公開と言う事で、やって来ました。
延宝七年銘 石造狛犬
八幡神社本殿内に奉安されている安山岩の石造狛犬一対。高さ26センチメートル、幅26.5センチメートルの非常に小型の狛犬で片手でも持つことができる。年に一度、大祭日に一般公開される。
背から尾にかけて、「延宝七未年九月日八幡宮 荻久保村」と刻まれている。延宝7年(1679)は、霊元天皇の御代で、幕府は四代将軍・家綱の時代。杉並区内現存最古の狛犬である。
同社の修復と関連して、社殿守護のために奉納されたと推測されている。
昭和59年3月31日に区指定有形文化財(彫刻)となった。
(杉並区設置の標柱解説参照)

文化財の狛犬。拡大写真はこちら。

(延宝7年(1679)己未9月建立)