熊野神社

杉並区堀ノ内2-6-6 (平成28年11月13日)

東経139度39分19.31秒、北緯35度40分59.13秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
京王井之頭線「永福町」駅より徒歩20分強の所に鎮座しています。途中、善福寺川をわたります。

御祭神 大屋津姫命・五十猛神・抓津姫命

御由緒
当社は旧堀之内村の鎮守で、大屋津姫命・五十猛神・抓津姫命の三柱が祀られています。社伝によれば当社は文永四年(一二六七)に、紀州(現和歌山県)の熊野三山を勧請したのにはじまり、室町時代に北条氏綱が上杉朝興を破り、江戸を攻略した際社殿を修築し祝祭を行い、江戸時代の寛永十一年(一六三四)にさらに修繕を加えたと伝えられています。別当は村内の妙法寺が明治維新までつとめていました。江戸時代の当社の様子を『新編武蔵風土記稿』は「除地四百五十坪、外に鎮守免一町九段、小名本村にあり、社は四尺に三尺南向、拝殿二間に三間・・・・前に鳥居を立」つと記しています。
総欅造りの社殿は「安政四年(一八五七)二月吉日氏子当村住人井上龍三」と銘が刻まれ、その精巧かつ豪華なことは区内随一の評があります。また、桧造りの幣殿は大正十二年の造営で、この時旧幣殿を現在の神楽殿に改修しました。昭和二十九年稲荷社・第六天王社の合殿社を改新築、同三十五年社務所の新築、社殿の整備を行い、同四十六年奥殿土台石の修復、神楽庫の新築等、今日の景観を整えました。
当社は文化財にも恵まれ、文化五年(一八○八)奉納の石鳥居は区内で最も古いものといわれ、また大正十二年九月一日の関東大震災の当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰還して納められた「火伏せの神輿」が、祭礼の際には町内を渡御します。なお、当社には古くから奉納された絵馬・額等も多く所蔵されています。
境内案内板 より

熊野社
除地、四百五十坪、外に鎭守免一町九段、小名本村にあり、社は四尺に三尺南向、拜殿二間に三間、~體は木の坐像にて天照大神・八幡・春日の三社を安す、各長三寸、前に石の鳥居を立、松杉數株生茂れり、村民の持なり
新編武蔵風土記稿>野方領>堀ノ内村>熊野社 より

鳥居

神額

境内社

参道

参道の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正13年(1924)5月吉日建立)

境内

手水舎

拝殿

彫刻

社名額

檻の中の狛犬。拡大写真はこちら。
(享和元年(1801)辛酉9月吉日建立)

本殿


祭具庫