久我山稲荷神社

杉並区久我山3-37-14 (平成28年11月13日)

東経139度35分59.19秒、北緯35度41分06.94秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
京王井之頭線「久我山」駅北口より徒歩10分弱の所に鎮座しています。当社の南側には神田川が流れています。

御祭神 保食命・大日孁貴神

御由緒
久我山稲荷神社は、『新編武蔵風土記稿』の多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社として掲載され、「除地、二段五畝十五歩、堂屋舗にあり、小社にて上屋九尺に二間、拝殿二間に三間、南向、前に鳥居を立つ、石階鳥居の外に三級内に二十級あり、村の鎮守、例祭十一月にて日定らず、光明寺の持」と記されいます。[原文では「村内」になっている]
創建の由来については詳かではありませんが、古来からの久我山村の鎮守で、祭神は保食命です。
明治四十年(一九〇七)四月に字北原にあった天祖神社(祭神大日孁貴命)が合祀され、昭和十六年(一九四一)二月に村社となりました。境内末社に八雲神社・天満天神社があります。
例祭日は十月一日ですが、本社では、七月二十四日に夏祭りが行われ、「湯の花神楽」が奉納されます。湯の花神楽は、大釜に熱湯を沸かし、小笹を浸して打ち振りながら行われます。杉並区内では極めて珍しい行事で、その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病が止んだという故事によるものです。
境内には明治三十二年(一八九九)に氏子が奉納した、金玉均(日本に亡命した朝鮮の李王朝末の政治家)の筆跡を刻んだ「人心同」の碑があります。金玉均は、久我山に生れて幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作左衛門から「遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不孝をわびる石碑を建ててくれ」と頼まれ、その心根に強く打たれてこの筆跡を残しました。
なお、境内には元禄十六年(一七〇三)造立の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられています。
また、昭和五十七年(一九八二)に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。
境内案内板 より

参道入口と一の鳥居

神額

参道と二の鳥居

三の鳥居

囃子堂

拝殿

彫刻


境内社の鳥居

天満天神

八雲大神

神輿庫

舞殿

裏口