多武峯内藤神社

新宿区内藤町1-8 (平成23年4月15日)

東経139度43分6.57秒、北緯35度40分54.31秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR千駄ヶ谷より北へ徒歩10分、新宿御苑の東側(元々は新宿御苑の地に在ったのですが)に鎮座しています。駿馬の伝説を今から見るとすごいなと思いますが、秀吉が家康を(秀吉にとって)安全な東に地の果てに追いやった時代の話ですからね。

御祭神 藤原鎌足公
相殿神 天児屋根命・経津主命・武甕槌命・姫大神・内藤家歴代祖霊

御由緒
当社は、江戸初期に初代内藤清成氏が屋敷内の地(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、(内藤神社)を草創したことに始まり、藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌神、天児屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。明治19年に新宿御苑の地より現在地へ移設、還座され今日に至っています。当初は武州多武峯神社と称していましたが、昭和42年5月に多武峯内藤神社に改称されました。
境内案内板 より

内藤清成
天正18年、家康が豊臣秀吉の命で関東に移封される。このとき、清成は鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務め、国府路(甲州街道)と鎌倉街道の交差付近に陣を敷き遠見櫓を築いたという。同年9月、家康より四谷から代々木村にかけて20万余坪もの広い屋敷地を賜る。この拝領地はのちに新しい宿場(内藤新宿)開設のため相当分が返上されたが、明治維新まで内藤家の江戸藩邸として使用された(現在の新宿御苑周辺)。

境内の案内板や駿馬塚説明板の原文はこちら。

境内入り口

社号標

高遠藩から贈られた文政六年製の石鳥居

拝殿

拝殿前の江戸中狛犬。拡大写真はこちら。
(石工 弥助 寛政5年(1793)癸丑11月15日建立)

神額

拝殿内部

本殿

駿馬塚

内藤清成の駿馬の伝説にかかわる石碑である。徳川家康は江戸入府後、家臣の内藤清成を呼び、現在の新宿御苑一帯を示し「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と語ったという。清成の乗った駿馬は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、疲れ果て死んでしまったので、大樫の下に埋めたと伝えられる。後に内藤家の森林の管理役となった中家休昌と木下正敷が、文化十三年(1816)八月に樫の古木の跡に塚を造り、駿馬の碑を建てた。・・・・・
新宿区教育委員会。

神馬殿.

境内末社・稲荷大明神、八幡大菩薩

神楽殿


眞崎鉛筆製造所跡地記念碑

跡地側より・御神木&手水社