須賀神社

新宿区須賀町5-6 (令和6年4月1日)

東経139度43分32.66秒、北緯35度40分55.45秒に鎮座。

この神社は、JR中央本線・信濃町駅の北800m程の辺り、須賀町の街中に鎮座しております。

御祭神 建速須佐之男命・宇迦能御魂大神

由緒
須賀神社はもと稲荷神社であった。稲荷社は往古より今の赤坂一ッ木村の鎮守で清水谷にあったのを、後、寛永11年(1634)に江戸城外堀普請のため当地に移されたものである。
須佐之男命も鎮座の儀は、寛永14年(1637)島原の乱に日本橋、大伝馬町の大名主馬込勘由なる者幕府の命により兵站伝馬の用を勤め、その功績により、現在の四谷中心部商地一円の支配権を拝領した機に、寛永20年(1643)、神田明神社内に祀ってあった日本橋大伝馬町の守護神を地元氏の総発意により、四谷の氏神様として勧請し、翌寛永21年(1644)6月18日に稲荷神社に合祀し、以後御両社として祀るようになった。通称四谷の天皇様として明治維新まで親しまれて来た。
明治元年(1868)に須賀神社と改称され、明治5年(1872)に郷社に昇格、戦後は制度改革により旧社格は撤廃された。
戦災前の御社殿は文化11年(1814)8月に起工し、15年の歳月をかけ、文政11年(1828)12月に竣工、社殿は権現造りの比類なき立派な建物であったが、昭和20年(1945)5月24日の東京大空襲の折、御本殿並びに御内陣と摂社天白稲荷社を残し、外一切の建物が焼失した。然し戦後氏子崇敬社の赤誠により今日の復興を見るに至った。
境内由緒書き より。

参道入口

参道

境内入口

入口左右の岡崎型狛犬

拝殿

拝殿内部


天白稲荷神社

稲荷を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(享保13年(1728)6月吉日建立)

社殿

狐穴?


大国主命

祖霊社

社務所入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)


須賀神社の三十六歌仙絵
三十六歌仙は、平安時代中期の公卿藤原公任(966〜1041)が、過去及び同時代の優れた歌人36命名を選定したもので、万葉歌人から柿本人麿・山部赤人・大伴家持の3名が、平安時代前期の「古今和歌集」「後撰和歌集」頃から紀貫之・在原業平・小野小町ら33名が選ばれている。
須賀神社の三十六歌仙絵は、三十六歌仙を一人一枚の絵に仕立てたもので、縦55cm、横37cmの絹地に彩色したものを、額装の上社殿内に掲げている。
天保7年(1836)に奉納されたもので、当時文人画家として高名だった四谷大番町(現在の大京町)の旗本大岡雲峰(1764〜1848)が絵を、和歌や書画で人気を博した公卿千種有功(1797〜1854)が書を担当した。
四谷の総鎮守として信仰を集めた須賀神社の隆盛を物語る文化財の一つである。・・・・・・
新宿区教育委員会

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