十二社(じゅうにそう)熊野神社

新宿区西新宿2-11-2 (令和6年4月1日)

東経139度41分29.75秒、北緯35度41分11.6秒に鎮座。

この神社は新宿中央公園の北西に鎮座しています。そのため、参道を通勤路代わりに利用する人、散策の途中で立ち寄る人、参拝者などで、常に人の来訪が絶えません。
境内や社殿なども良く整備され、周囲に緑が多く、とても都内中心地に立地する神社とは思えない素敵な神社です。
又、ここには享保12年(1727)建立の江戸はじめがいて、狛犬ファンにも見逃せない神社です。

御祭神:櫛御気野大神(素戔嗚大神)・伊邪奈美大神
例祭日:1月1日・歳旦祭、2月3日・節分祭追難式、5月下旬・稲荷・弁天祭、6月30日・夏越の大祓式、9月21日・例大祭、9月中旬・神輿渡御(3年に一度宮神輿渡御)、11月酉の日・酉の市、12月31日・年越しの大祓式
境内社:厳島神社、大鳥三社、稲荷神社
由緒
 十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394〜1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます〔一説に、この地域の開拓にあった渡辺輿兵衛が、天文・永禄(1532〜69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祀ったともいいます〕。
 鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)にすむようになりました。
 九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祀りました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祀ったといいます。
 この十二所が、昭和45年(1970)までこの地の町名であった十二社と読み変ったものとされますが、別に複数の社を一つに祀る相(双)殿形式で十二の社を祀った十二相(双)殿からきたという設もあります。江戸時代の文献にはこの他、十二處・十二荘・十二叢・十二層などの記述が見られます。
 神社は、江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
 また、享保年間(1716〜35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に参拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。
 明治維新後は、現在の櫛御気大神(須佐之男命の別名)・伊邪那美大神を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
 氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。
境内由緒書き より。

十二社熊野神社公式サイトはこちらから

「十二社熊野神社の文化財」「神輿蔵」「十二社の碑」「七人役者図絵馬 式三番奏納額」「太田南畝の水鉢」案内はこちらで

参道入口

参道

境内入口

境内入口右側に有る十二社の碑 纏碑

拝殿

阿は宝珠、吽は二本に分れた角付きの尾立狛犬です。小頭で顎が尖り、前足を踏ん張り、逞しい身体に太い尾をピンと立たせた威勢の良い狛犬です。拡大写真はこちら。

(内藤新宿下町・石工 吉右エ門 文化元甲子年(1804)9月吉日建立)

拝殿内部

本殿


大鳥神社

享保12年(1727)「角筈村上野百姓店児講中」により寄進されたもので、お腹の下が刳り抜きになっていないはじめちゃんです。胸の下の部分に建立年や奉納者名が記されています。吽は角つきで、如何にもやんちゃそうな顔つきが可愛いですね。東京の古い狛犬は皆、空襲で焼けてしまっていたとばかり思っていました。認識不足を深く反省!!拡大写真はこちら。

(享保12年(1727)建立)

稲荷神社

厳島神社

角筈 胡桃下稲荷社碑 倉稲魂碑

神楽殿

灯籠にも狛犬のレリーフが…岩狛と飛び狛です。嬉しいですね。

大田南畝の水鉢(新宿区指定有形文化財)

江戸名所図会の角筈村熊野十二権現社

二代目歌川広重の十二荘