穴八幡宮

新宿区西早稲田2-1-11 (令和5年6月18日)

東経139度43分14.08秒、北緯35度42分14.37秒に鎮座。

この神社は、JR山手線・高田馬場駅の西南西1.5km程の辺り、西早稲田の街中に鎮座しております。又、この神社は私達の氏神様です。夫は幼年時ここも遊び場の一つとしていたそうです。この様に馴染みの神社なので大人になるまで一陽来福で有名な神社なのだという事を知らなかったそうです。
御祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功天皇です。創建は寛永十三年(1636)に松平左衛門尉直次という武士が射術の練習をする為、ここに的山を築き弓矢の守護神である八幡神の小祠を営んだのに始ります。後に社僧が社地内に洞穴を見つけた折り、そこに八幡神の本地仏である阿弥陀如来像があった事から穴八幡と呼ばれるようになったという事です。

御祭神 應神天皇・仲哀天皇・神功皇后

由緒
康平5年(1062)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。
寛永18年(1641)、宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安元年(1648)、社殿再興の折に幕府から氏子として牛込郷36ヶ町が定められ、翌年の慶安2年(1649)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄16年(1703)の造営は、江戸権現造社殿として壮麗を極めました。
安政元年(1854)青山火事のため類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰の為、仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧時の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者御芳志等により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造の当社設計絵図を基に御本殿御社殿等の造営をはじめ、平成10年隋神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。
境内由緒書き より。

馬場下町交差点に立つ一の鳥居

参道

隋神門

随神様

神馬

手水舎

拝殿


布袋尊

神武天皇遥拝所

境内左隅に追いやられた先代。頭にはいつの間にか角が生えていた。拡大写真はこちら。

(宝暦5年 (1755)10月15日建立)

流鏑馬騎馬像