寄木神社

品川区東品川1-35-8 (平成26年4月19日)

東経139度44分55.97秒、北緯35度36分53.52秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
京急「新馬場」駅より徒歩10分程の所に鎮座しています。かっぱ狛犬がここが猟師町だったことをおしえてくれます。

御祭神 日本武尊、弟橘姫

・慶長年間(1598〜1614)の創建。
・現在は荏原神社の末社。
・猟師町の鎮守さま。
・江戸名所図会にも描かれている。
・境内の「江戸漁業根源之碑」の碑文 は、この一帯の猟師町の歴史を刻んでいる。 本山荻舟 (明治〜昭和の小説家、随筆家、料理研究家)が書いたもの。
・6月の例大祭で海中渡御に出る神輿の神事は、ここ寄木神社で執り行われる。

○かっぱ狛犬 (こまいぬ)
寄木神社の狛犬には頭の上に皿があります。 寄木神社以外には、岩手県遠野のかっぱ淵に隣接する常堅寺 (曹洞宗)境内にはかっぱ狛犬が居るのは知られ ています。

・・・寄木神社の狛犬の皿の役目は・・・
昔、神社前に海が広がっていた頃、海苔採り等は暗いうちに海に出たりする際その皿の部分にロウソクを立 て、火を灯し、灯台の代わりにして、沖にいる船の 目印としたと言われている。 品川神社にも同様の狛犬がある。

以上、しながわ観光協会 ・寄木神社 より

管理人の一言
火を灯し灯台の代わりとするならば常夜灯の方が目的にかなっている筈。渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社や渋谷区東の氷川神社のように海の近くではない所にもあることが説明出来ない。有名な岩手県遠野、常堅寺のかっぱ狛犬も小川の近くで灯台の代わりと言うことはありえないと思います。おそらく「盃状穴(はいじょうけつ)」と言われる、信仰の形跡かと思います。しながわ観光協会が誤解しているように、明治の中ごろには忘れ去られたようです。

盃状穴(はいじょうけつ)
(英語 Cup mark、Cupule)とは、岩石や石の構造物等に彫られている盃状の穴の事。
世界中で見られ、再生や不滅のシンボルとして信仰されてきた。女性シンボルと関係があるとされ、現在でも病気の治癒や子宝に恵まれる事を願って信仰されている。ペッキングという方法で彫られたもので、蟻地獄のような形をしており、幅は3、4センチから10センチある。穴の少ない石と多数の穴が開いた石があり、別の用途があったのではないかと考えられている。
ヨーロッパでは古くから研究されており、最初に学会に発表されたのは1627年のスウェーデンだという。デンマークでも研究された。北欧では、病気の子供を穴にバターを入れた石の上に乗せて回復を祈る習慣があるという。
何か関係があるようで、古いものはペトログリフやストーンサークルの、新しいものは日本では丸石(道祖神の一種)や手水石の近くで見つかる事が多いという。
ウィキペディア より

日本武尊東夷御征伐のみぎり、相模国の海中にて南風烈しく吹き、御船が沈まんとする時、弟橘姫命は御船を救わんと、海神の怒りを鎮めるために御入水せられた。そのみぎり当品川浦へ船木流れ寄り、そのところに神霊を勧請したという。また兜島伝説として、源義家朝臣、奥州征伐の時、この地に馬をとめ、寄木明神の由来を漁人に問いしに、漁人当社の神伝を答え奉れば、義家朝臣白から奉幣ありて、軍の勝利を祈り給う。奥羽平定ののち、帰路再び当社に詣でられ、兜を奉納した。以後この地を兜島といった。亀の甲社の由来として、明治末品川浦に大海亀迷いこみ、猟師大勢にてこれを捕え、村民に披露した。この大亀不幸にも独り鎖を首に巻き付けて死亡した。この甲は当時の小学生音楽隊を先頭に上野まで行進し、博物館へ寄贈した。後、その霊を末社に祀った。
東京都神社名鑑 より

南品川猟師町・寄木明神社
境内年貢地八坪町の中程西側にあり、與兵衛と云者の持の内なり、本社九尺二間拝殿方九尺、所祭神日本武尊にして橘姫入水の時船の残木の浪に漂流れ寄しを、浪人等取上て祀れりと云傳ふ、橘姫の乗船と云は無稽の説なれど、異木の流れ寄しは其理なしとせず、北大森村にも同社あり、神に祀し比は漁人等未南宿三町目にありし時の事にて、則與兵衛が居地に鎮座せしを町屋と共にここに移せし時、舊に因て同人持地の内に立り、今も三町目問屋留平次が宅地に、社跡なりとて小社を建、例祭正月十四日神楽及湯華を執行せり、南品川貴布彌社神主鈴木が持
新編武蔵風土記稿 より

神社入口

石段脇の先代様

拝殿と狛犬

広くは無い境内に三対もの狛犬が並んでいます。
堂々としたブロンズの狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
かっぱ狛犬。確かに河童の皿のように大きな穴です。拡大写真はこちら。
(年代不明)
子沢山な江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正2年(1913)3月吉日建立)

拝殿内部

伊豆長八の漆喰鏝絵」鏝絵天鈿女命功績図

本殿鞘堂

海中渡御神輿

稲荷神社

亀の甲社 石亀

明治の頃は東京湾にも大亀が迷い込んで来ることがあったようです。