品川区二葉1-3-24 (平成23年4月1日)
東経139度43分46.44秒、北緯35度36分12.65秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
東急大井町線「下神明」駅より南へ徒歩5分の所、中学校と住宅地に挟まれて鎮座しています。駅の近くですが、長い参道と境内の木々が良い雰囲気をだしています。
窪地であったこの一帯は、江戸に幕府が置かれる前の戦乱激しき時代より陣を張るのに適していたため兵備窪と称されたと云われており、後に蛇窪と記されるようになった。
神社については大荏原総覧に「その鎮座は不明なるも六代将軍家宣時代より社として崇拝されていたと伝えられている」とある。又荏原区史に「その時代は不詳であるが、上・下蛇窪の分立は正保年間である」と記されている。元々は神明宮と呼ばれていたが、村が立会川の上流域と下流域に分かれたのに伴い社も分立し(1643)天祖神社と社名が制定された。
神明造りの現御社殿は昭和47年の建立である。また、御神木のカヤを始め21本の境内樹木が品川区保存樹に指定されている。
明治7年4月2日、無格社より村社に昇格された。
明治42年12月12日、無格社稲荷社が境内に併合された。
境内案内板 より
御祭神 天照大神、応神天皇、天児屋根命
御由緒
大荏原総覧には「その鎮座期は不明なるも徳川六代将軍家宣の時代より社として崇拝された」とあり、正保年間(1644〜1647)、村が立会川の上流地域と下流地域とに分かれるに伴い、社も分立し、現在の社名が制定されたと云われています。
昭和四十八年に再建された御社殿前には、御神木である榧(かや)の大木(区保存樹・第三号)、区内最大の狛犬を有します。境内社の稲荷社前に、小規模ながら斎田があり、収穫した稲穂は例祭の神饌として本社、稲荷社に献じられています。
下神明天祖神社公式サイトより
神社入口と社号標
参道
参道途中の江戸流れ。モデルとなった先代様がいたのでしょうか。拡大写真はこちら。 | |
(昭和7年(1932)2月吉日建立) |
狛犬&御神木
参道途中の岡崎型狛犬。岡崎型としては古そうで大正〜昭和初期でしょうか。 | |
(年代不明) |
手水舎
拝殿
社額 | 拝殿内部 |
本殿
神楽殿
境内末社・伏見稲荷社