利田(かがた)神社

品川区東品川1-7-17 (平成25年5月6日)

東経139度44分43.99秒、北緯35度37分4.91秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
京急本線「北品川」駅より東へ徒歩10分程の所に鎮座したいます。この辺は開墾(安永3年(1774)から天保5年(1834)にかけて、面積は一町(約9900平方メートル)に着手した南品川宿名主利田吉左衛門の性をとって「利田新地(かがたしんち)」と呼ばれた。当社も利田神社となった。
(案内板を参考)

御祭神 市杆島姫命

御由緒
旧目黒川の河 口にできた砂嘴(きし)の先端に弁天堂が祀られていた。洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)の名所江戸百景の一つにも描かれている。寛永3年(1626)、今から約360年前に沢庵和尚が弁才天を祀ったことに始まると伝えられる。明治になって利田神社になり、祭神も弁才天から市杆島姫命にかわった。
品川百景第二十三番『利田神社と鯨塚』 より

鳥居

拝殿と狛犬

逞しく子沢山の江戸流れ。空襲で焼かれたのでしょうか。拡大写真はこちら。
(年代不明)

奥殿

遠景

品川史跡、鯨塚

鯨塚
寄り鯨 ・流れ鯨といわれるクジラを捕獲し(受動捕鯨)食料や資源としての利用から、その地域が救われたり潤ったりした事の、感謝や追悼の意味で建てられた塚であり、漂着神や「寄り神信仰」とも係わっている。鯨を神格化して捉えていたので(「恵比寿」の化身としてエビスとも呼んでいた地域も存在する)偶然または、捕鯨により命が奪われた事で荒ぶる神にならぬ様祀った塚でもある。東京都品川の利田神社、東京都三宅島の鯨神社などにある。
ウィキペディア  より  詳しくはこちら。

利田新地の解説

歌川広重の名所江戸百景に描かれる洲崎弁天。