氷川神社

渋谷区東2(平成19年3月18日)

 この神社は國學院大學や常盤松小などの学校が多い文教地区に鎮座しています。社号標を左に見て鎮守の杜の中の参道を進むと、左手に江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡が、公園となって残っています。相撲場跡を過ぎると参道は階段となり、境内は高いところに作られています。境内には社殿の他に多数の境内社が祀られ、それぞれに狛犬やらお狐様やらが奉納され、この社の崇敬の深さが偲ばれます。

 御祭神:素盞鳴尊、稲田姫命、大己貴尊、天照皇大神
 例祭日:9月16日
 境内社:秋 葉 神 社、八 幡 神 社、稲 荷 神 社、厳 島 神 社
 由緒:古くは氷川大明神といい、旧渋谷村、下豊沢村の総鎮守でした。創始は非常に古く不詳ですが、慶長10年(1605)当社別当宝泉寺第百代住職・実円の記した「氷川大明神宝泉寺縁起」によると、景行天皇の御代、日本武尊東征のときに、当地に素盞鳴尊を勧請し、後、弘仁年中(810〜23)慈覚大師が宝泉寺を開基し、それより同寺が別当になったとありますが、正徳3年(1713)に宝泉寺庫裡から出火し土蔵を焼き、宝物史料を焼失したと伝えられています。
 江戸時代には、秋の例祭に参道傍らの相撲場で大相撲が行われ「渋谷の相撲」「金王の相撲」などといわれ、近郷近在はもとより他地域からも見物人が集まり、将軍家でさえ「渋谷の相撲なら見に行こう」といったといわれます。
 源頼朝が勧請したとか、金王丸が信仰したというのは後世についた伝説とみえます。昔は松杉が鬱蒼と茂り、昼なお暗く渋谷川が門前に流れて如何にも神さびたお宮であったらしいことが「江戸名所図会」からもうかがわれます。また、明治頃に枯れてしまいましたが、神木の老松が描かれており、「常盤松」と呼ばれ常盤御前が植えたという伝説があります。
 現在の社殿は昭和13年に氏子町内の寄付により総桧造で造営されたもので、戦災にもあわず、現在では都内有数の木造神社建築となりました。境内全域が渋谷区の保存樹林に指定されています。(氷川神社由緒書より )

社号標 神社入口
参道の様子 境内への階段
階段上にいる招魂社系狛犬
(紀元2600年(昭和15年)建立)
拝殿 本殿
境内社・八幡神社
境内社・八幡神社を護る、小さな年代不明の江戸流れ狛犬。阿の顔面が欠損し、相方の顔が見られない吽は、憂いを帯びた顔をしています。
境内社・秋葉神社
境内社・秋葉神社を護る、年代不明の構え狛犬。これも阿の顔面が半分崩れ、吽が下を向いて探している様に見えます。吽を見る限りかなり手の込んだ出来の良い狛犬です。
境内社・厳島神社
境内社・厳島神社前の明治8年生まれ、秀でた額の老成した感じの狛犬です。体表を覆う様に、大きな渦の先を長めに流した毛が、滑らかで綺麗です。随分乱喰い歯で耳の長い狛犬ですね。
(明治8年11月吉日建立)
同じく境内社・厳島神社前の寛政6年(1794)生まれの江戸中狛犬。阿には小さな宝珠が付き、吽には頭上に穴が開いています。この時期の狛犬は比較的顎が尖っているのですが、この子達は顎が張り、頬を膨らまして、ちびまる子ちゃんのような横広の眼をしており、のんびりした人の良いおじさん顔に見えます。吽の前脚が欠けていなければ、かなり良い保存状態といえるでしょう。   狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政6年(1794)建立)
境内社・稲荷神社
境内社・稲荷神社前にいる、一体だけの狛犬? 熊? まさかお狐様ではないですよね。なんだか正体は分からないけれど、素人が造った様な、素朴で暖かみのある可愛い子です。
境内社・稲荷神社前にいる親子連れのお狐様。阿が連れている子狐の拡大写真を見てください。一生懸命化ける練習をしているのでしょうか?宝珠の中から小さな顔と可愛い前脚がチョコンと飛び出ています。
大きなお狐様の陰に隠れていた小さな一対。今日だけは参道中央にお出ましになって頂いて、スポットライトを当てさせて頂きました。そんなに下を向いてばかりいないで、ハイ・ポーズ…!
昭和14年・青山石勝刻のお狐様です。やはり得手不得手はあるのでしょうか?狛犬の様な腕の冴えは無いように見受けられます。石勝さんご本人の作ではないのかも…。
(昭和14年7月7日建立)
境内社・稲荷神社脇のブロンズ狐さん。現代的な感覚のお狐様です。
境内左右に聳える見事な枝振りのご神木
神楽殿
明治29年生まれの青山・石勝刻の江戸流れです。未だ若い時期の作だそうですが、もう名人の風格が充分感じられる彫りです。補強のためお腹の下に大きめの子狛を連れていますが、惜しいことにその手前にでている玉が二つとも壊れてしまいました。言うまでもなく完品ならば名品の部類に入る狛犬でしょう。    狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・青山 中村勝五郎 明治29年9月建立)
裏参道入口