鳩森八幡神社

渋谷区千駄ヶ谷1−1−24(平成19年3月18日)

 この神社はJR千駄ヶ谷駅の南約400m、明治神宮と国立競技場の中間に鎮座しています。道路を挟んで将棋会館があり、都内の神社にしては鎮守の杜が残された、静かな佇まいの落ち着いた神社です。此処には都内で唯一「ほぼ原型で残っている」富士塚があります。

 御祭神:応神天皇、神功皇后
 例祭日:9月15日
 境内社:甲賀稲荷社、富士浅間神社、将棋堂
 由緒:「江戸名所図」によると、「往古、此地深林の中に時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白雲降りて雲上に散ず。村民怪しむで彼の林の下に至るに、忽然として、白鳩数多、西をさして飛び去れり。依って此の霊瑞を称し、小祠を営み名づけて鳩森と云ふ。貞勧2年(860)に慈覚大師・円仁が関東巡錫の途次、村民の懇請により山城国岩清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇・春日明神等の御尊像を作り添えて、正八幡宮として崇敬し奉った。」と伝えられます。旧名を千駄ヶ谷八幡神社といいました。
 社殿は弘化2年(1845)に上棟した欅造り50余坪の荘厳な社殿でありましたが、昭和20年戦災により焼失しました。戦後、昭和23年より数度の復興事業をおこないましたが、平成2年の御大典を記念して、昔日の姿に復元すべく建設工事を開始し、平成5年6月に竣工しました。(「鳩森八幡神社」参拝の栞より)

社号標 神社入口
参道と境内の様子 立派な拝殿
台座には「文化11年(1814)晩秋9月建立 
維持昭和29年9月大祭吉日 狛犬修築記念昭和60年1月吉日」と書かれていました。
どうも 文化11年建立の狛犬が昭和20年の戦災にあい一体のみ残ったため、
昭和29年に台座を残してこの狛犬が建立された様です。
この狛犬は阿吽の位置が反対で、身体に比べて小顔です。   
狛犬の拡大写真はこちらで
(維持 昭和29年9月大祭吉日建立)
本殿 境内社
境内社・将棋堂
昭和61年に、将棋連盟より欅製の大駒が奉納された為、
神社と将棋連盟の協力の下、六角堂が建立され、
八幡神と共にこのお堂に祀られています。
境内社・富士浅間神社
富士塚の山頂に浅間神社の本社、山麓には里宮・浅間神社が奉祀されています。
昭和60年に浅間神社の社殿が御影石にて建替えられました。
江戸中期以降の建造で、都内で唯一「ほぼ原型で残っている」
富士塚とのことで、東京都の有形民俗文化財に指定されています。
享保20年(1735)生まれの狛犬。
この時期の狛犬としてはとても洗練された感じがします。
尾先が阿は外側に、吽は内側に巻かれたり、吽の乱食歯などは石工さんの遊び心でしょうか?
眼の脇に彫られた烏の足跡が面白いですね。
阿吽共に頭上に穴が開き、たっぷりとした体格の堂々とした狛犬です。    
狛犬の拡大写真はこちらで
(享保20年(1735)9月吉日建立)
境内社・富士浅間神社の山頂に鎮座する
浅間神社の本社と、山腹、山麓の碑や身禄様等。
境内社・富士浅間神社の山麓に、隠れる様に置かれた一体だけの狛犬です。
この狛犬そのものには年代が分かる建立年は刻まれていませんが、
「江戸名所図会」等を詳しく調べた方がいて、
この狛犬が元々は拝殿前に建立された狛犬の台座に書かれた
「維時文化十一年龍次甲戌晩穐九月穀旦(1814年)」
生まれの狛犬だという結論に達せられたようです。
戦災にあい吽のみ生き残ったため、先代さんとしての生活を送っているようです。
非常に手の込んだ造りの良い狛犬で、もし一対残っていたら、
素晴らしい逸品として称賛の的となっていたでしょうに、残念ですね〜。
狛犬の拡大写真はこちらで
(文化11年(1814)9月建立)
この子もやはり境内社・富士浅間神社の山麓に、隠れる様に置かれた小さな狛犬です。
先代さんなのか、顔面半分が欠けた一体しか残っていません。
境内社・甲賀稲荷社
 御祭神は宇迦之御魂神です。
昔は青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座していて、甲賀組組屋敷の武士等が崇敬していました。
明治18年に青山練兵場設置のため、この社の境内に遷座、合祀されました。
昭和20年5月の戦災で社殿を焼失し、本殿内に八幡神宮、諏訪大神とともに祀られていましたが、
昭和45年に欅造りの社殿が完成し、遷座しました。
境内社・甲賀稲荷社 のお狐様
建立年代は不明ですが、獅子山風の火山岩の上に置かれています。
神楽殿 ご神木
絵馬は、藤蔓に可愛い鳩の絵と、棋力向上・よろず勝運に恵まれるという
馬の字が逆に書かれた将棋の駒の、二種類がありました。
各町内の神輿倉 裏参道の様子
この狛犬は昭和7年、千駄ヶ谷町解散記念に奉納されました。
ブロンズ像の様に見えますが戦時中の供出は免れたのでしょうか?
(昭和7年10月吉日建立)
裏参道入口