太子堂八幡神社

世田谷区太子堂5-23-4(平成20年6月8日)

東経139度40分6.55秒、北緯35度38分38.08秒に鎮座。

この神社は、東急世田谷線・西太子堂駅の北250m程の辺り、環七通りからも世田谷通りからも離れており、静かな住宅街の中に鎮座しております。

太子堂はこの辺りの地名でもありますが、これは円泉寺という寺に聖徳太子が祀られているところから来ています。その円泉寺は、嘗て八幡神社の別当寺であったのです。因みに現在の聖王山法明院円泉寺は東北東500m程の所にある真言宗豊山派のお寺です。

祭神:誉田別命

関東の八幡神社には源義家の奥州征伐の時戦勝祈願をした云々・・・と伝えられる神社が多数ありますが。この神社もそのような由緒を持つ神社です。由緒書全文はこちら。

神社入り口と社号標。八幡神社の上の太子堂の文字、後から嵌めたように見えます。多分戦前は村社とか郷社などと書かれていたのではないでしょうか。

参道と二の鳥居。神社には珍しく鉄の扉が見えます。門限があるのでしょうか。

さらに進むと狛犬が見えてきます。

昭和11年ですが流れる尾が綺麗な江戸狛犬です。拡大写真はこちら。

(溝口石匠・内藤慶雲刻 昭和11年(1936)10月吉日建立)

拝殿。木の陰になって良く見えませんがもう一対の狛犬があります。

最初の狛犬と同じ内藤慶雲。ただし内藤慶雲は個人名でなくいわばブランドのようなものです。拡大写真はこちら。

(溝ノ口石工・内藤慶雲 明治21年(1888)10月吉日建立)

本殿

先代さまが居るようです。しかし鉄条網や鉄の柵で硬くガードされています。残念!。ひょっとすると天明とか寛政かも知れません。なにしろ逃がした魚は大きいと言いますから。

境内の稲荷社

赤いあぶさんをした知的なお狐さまです。

境内隅の末社 御神木

一の鳥居の外側左に鎮座しています。境外末社と言ってよいのでしょうか。弁天社。