六所神社

世田谷区赤堤2-25-2(平成20年6月8日)

東経139度38分47.53秒、北緯35度39分16.99秒に鎮座。

 この神社は世田谷線・松原駅の南東約250mに鎮座しています。世田谷の住宅街にありながら、昼尚暗い鬱蒼とした鎮守の杜が遠くからも良く見える神社です。この地は室町時代この地域一帯を治めていた吉良氏が、本拠世田谷城の支城としてこの地に築城した赤堤城跡に建っています。赤堤城は吉良氏没落とともに廃城となり、江戸時代には赤堤陣屋として利用されていたそうです。入口の階段を上がり薄暗い参道を抜けると、境内正面には朱の柱などに白壁が映える拝殿が建ち、左右には神楽殿、境内社などが点在しています。社殿左側に建つ旧社殿?と思われる建物には素晴らしい木鼻や狛犬がいました。

 御祭神:大国魂命  相殿:伊弉冉尊、素盞嗚尊、布留大神、大宮売命
 例祭日:大祭・9月23日、歳旦祭・1月1日、成人祭・1月第二月曜日、春祭・2月17日、春分祭・3月春分ノ日、子供祭・5月5日、大祓式祭・6月30日、秋分祭・9月秋分ノ日、文化祭・11月3日、七五三祭・11月15日、勤労感謝祭・11月23日、天皇誕辰祭・12月23日、大祓式祭・12月30日
 境内社:神明社、大鳥神社、御嶽神社、子安神社、天祖神社、松沢稲荷神社
 由緒:天正12年(1384)、服部貞殷が府中の六所宮(現大国魂神社)を勧請して赤堤の総鎮守と定め、奉斎したのが創祀です。天明7年(1787)9月社殿をし再建、明治7年には赤堤村社と定められました。
 創建者の服部貞殷は、伊賀(三重県西部)の出身で、服部半蔵に連なる一族ということです。天正10年(1582)本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれ、旅先の堺にいて窮地に陥った徳川家康を、服部半蔵が護衛して伊賀峠を越えさせ、無事に本拠地の三河へ帰還してさせた史実は有名ですが、世田谷の服部氏もこの伊賀越えの際に直ちに手勢を率いて家康の案内を務めたといいます。その後、旗本に登用され、天正18年(1590)家康の関東入りに従って赤堤村などを所領としたそうです。

神社遠景
神社入口 参道の様子
境内社:厳島神社 入口と社殿
境内入口
拝殿
拝殿内の様子

本殿 神楽殿
境内社:神明社、大鳥神社、御嶽神社、子安神社、天祖神社
境内社:松沢稲荷神社
旧社殿?
旧社殿?の木鼻狛犬
目が青く塗られた中々の出来映えの木鼻です。
旧社殿?前、「日露戦役従軍者祈念」に奉納された子連れ江戸流れ狛犬
「日露戦役従軍者祈念」ということですから、建立年代は多分明治38・9年でしょう。阿の左口蓋が欠けていますが、不適な面構えの良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
境内の様子