世田谷区上馬5-35-3(平成20年6月8日)
東経139度39分49.83秒、北緯35度38分15.35秒に鎮座。
この神社は、環七と世田谷通りが交差する若林交差点の南100m程の辺り、環七のすぐ西側に鎮座しております。都心に近いわりには緑の多い神社ですが、環七を通る自動車の騒音が結構聞こえてくる、そんな場所です。
祭神:応神天皇・天照大神
由緒:源義家前九年の役の際、当地に駒を留め塚に祈願せし故に駒留八幡と称すと云う。鎌倉時代最明寺時頼公祈願せし本尊経塚あり。永禄年間領主吉良頼康非業の死を遂げし一子を相殿に祀り爾来若宮八幡と称す。寛政年間田地三反五畝寄進せられ、明治五年村社に列す。
神社名鑑より
神社入り口
八幡神社の御祭神は普通、誉田別命(応神天皇)+ニ柱ですが、最初に天照大神、次いで応神天皇と書いてあります。八幡は後から合祀されたのでしょうか。
参道
石段上左右の狛犬。流石の峯吉さんも石の選択を間違えたか、剥落が進んでいます。残念!。拡大写真はこちら。
(石工・原峯吉 明治39年(1906)5月27日建立 戦捷紀念)
拝殿
木鼻の狛犬もなかなか素敵です。
僅かに伺う本殿
左手に境内社が纏められいます。その入り口に立つ鳥居。
鳥居の台座に遊ぶ狛犬
戦没者慰霊殿
駒留稲荷神社
常盤弁才天。戦国時代には吉良家の所領が続き、七代目頼康の時、寵愛していた側室・常盤が他の側室たちの嫉妬であらぬ事を告げ口され、不義の罪をとがめられて自害したそうです。その後常盤は怨霊となって里人を苦しめた為、この地に祀ったと云うことです。
不明の末社
石祠と蒼面金剛の石碑
境内