氷川神社

世田谷区喜多見4-26-1 (平成28年3月3日)

東経139度35分46.36秒、北緯35度37分31.97秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
小田急小田原線「喜多見」駅より徒歩15分の所に鎮座しています。

御祭神 素盞嗚尊
配祀神 天照大神・稲田姫命

境内社 稲荷神社・天神社・大山祇神社・月讀神社・出雲神社・大鳥神社・祖霊社

御由緒
当社は天平十二年(七四〇)の創建と伝えられているが、延文年間(一三五六〜六0)に宮殿大破し、ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではない。古く多摩川岸に近いところにあったという。
永禄十三年(一五七〇)この地の領主江戸刑部頼忠(東京の開祖江戸重長の末流で後に喜多見氏と改めた)は当社を修復し国家安泰・武運長久を祈願し、天和二年(一六八二)喜多見若狭守勝忠は篤く当社を敬い神領五石二斗を寄進し再興す、慶安二年(一六八七)喜多見若狭守により再建せられた。
承応三年(一六五四)に喜多見重恒・重勝兄弟は銘文を刻んだ石の鳥居を寄進し今に残っている。また当社の別当を華蔵院と称し、慶安二年(一六四九)徳川家光より社領十石二斗余りを賜わっている。もと祭礼には湯立神楽が奉納された。明治十七年郷社に昇格し、大正十一年社殿改築の計画が震災により一時中止となり同十五年に落成した。昭和六十三年不慮の災いをうけ社殿焼失、平成二年に現社殿を再建す。
当社公式サイト より

社地、六十坪、御朱印地の内、小名本村にあり、本社東向、纔に五尺四方板葺、神體長二尺許、烏帽子の如なるものを冠せり、行基の作、社の廻りに古木立り、拝殿は二間に二間半茅葺、大門の通り長さ十五間、幅九尺、前に石の鳥居を立つ、兩柱へ承應三甲午年九月九日、喜多見九太夫重勝・喜多見五郎左衛門重恒の數字、及びこの外當社は余が輩の氏神なれば、兄弟議して建るよしをもえれり、後にのせるがごとく、當社に永祿の比再興の棟札元和以下のも五枚あれば、いづれ古くよりの鎮座なるべし、別當寺の開山良尊は長祿元年十月寂せしといへば、その比の鎮座にてもあるにや、慶安二年十月十七日十石二斗外に除地五石四斗餘あり、
新編武蔵風土紀稿>世田谷領>喜多見村>氷川社 より

御朱印

参道入口と一の鳥居

参道

文化財の二の鳥居

参道

境内入口の狛犬

手水舎&立石大神

青山、石勝のような、江戸流れ。拡大写真はこちら。
(昭和3年(1928)5月建立)

龍石

拝殿

本殿


境内社

立派な江戸尾立。天気が良すぎ。残念!。拡大写真はこちら。
(文化4年(1807)丁卯5月吉祥日建立)

手水石。中央は天狗の団扇か?

内部

稲荷社

神楽殿

神輿庫

北側、車の入口。