代田八幡神社

世田谷区代田3-57-1 (平成28年3月3日)

東経139度39分46.42秒、北緯35度39分14.29秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
小田急小田原線「世田谷代田」駅より徒歩10分弱の所に鎮座しています。駅からは途中に環七通りをまたぐ歩道橋があり、駅側より橋を登り、橋を降りる階段の途中に境内入口があります。他に鳥居のある入口が二か所あります。正面入口の鳥居は区内では喜多見氷川神社の鳥居に次ぐ古さとのこと。

御祭神 応神天皇

御由緒
応神天皇を祭神として、代田地区に在住する人々の鎮守の神として崇敬されてきました。天正18(1590)年、小田原の役において世田谷城が開城した時、城主吉良氏の家人七家が代田本屋敷の地(現在の圓乗院の付近)に土着し、翌天正19(1591)年、八幡神を宇佐八幡宮(世田谷八幡宮)から勧請して集落のうちにお祀りしたことを以て、縁起としております。
その後代田の発展に伴い、天和元(1681)年、別当寺圓乗院二代法印賢と総氏子によって本格的な社殿がほぼ現在の地に建立されました。更に末社も整った享保20(1735)年、圓乗院六代法印有順を導師として遷宮祭が執り行われ、ほぼ現在の姿になりました。・・・以下省略
当社栞より

社地三段、免畑一段一畝十五歩、小名本村の内高札場より耕地を隔て北の方にあり、
本社は小山の上にたてり、宮作りにて横四尺に長さ六尺八寸覆屋は二間四方、鎮座の年代詳ならず、元文年中の棟札あり、是は今の社を修造せし年代なるべし、此社の内に奇石あり、其状雷槌の如くにして青石なり、長さ四尺二寸餘圓径太き所にて四寸、周一尺三寸五分、細き所一寸三分、これは昔より此ほとりの百姓が宅地の内に在しを、近き頃此社へ納めしと云、
末社、春 日社、本社に向ひて右の方にあり、神明社、夷子社、大黒社、以上春 日祠の右にあり、辨天天神合社、是は本社に向て左にあり、
新編武蔵風土記稿>世田谷領>代田村>八幡社 より

御朱印

入口。この鳥居は裏表が逆のようです。教育委員会の説明はこちら。

手水石

境内

拝殿

手水舎

大変立派な江戸流れ。拡大写真はこちら。
(年代不明)

本殿


御獄社

神楽殿

南側入口

歩道橋からの入口

天正十九年 (1591年)代田地区(旧下代田、本村、中原、大原)の鎮守の神様として宇佐八幡宮より御分霊を勧請してお祀りしたことを縁起としております。
以来、代田の発展に伴い幾多の変遷を経ながらも 自然崇拝、祖先崇拝を基調に、氏子中より氏神(産土神)として篤く信仰されています。