太田神社

大田区中央6 (平成21年7月16日)

東経139度42分52.51秒、北緯35度34分33.71秒に鎮座。

この神社は、東急池上線・池上駅の北東1.2km程の辺り、住宅街の中、やや小高い丘の上に鎮座しております。日蓮上人入滅の霊場として有名な池上本門寺の東側にあり、嘗ては、本門寺の東を守る神とも言われたようです。

御祭神 誉田別命(応神天皇 俗称八幡様)

八幡大菩薩像由緒碑
那須與市宗高と守本尊由来記
源平盛衰記の花形、那須与市は後世に弓矢の神といわれた武人である。この武人の守本尊と伝えられる八幡大菩薩像と太田神社との因縁は、次のように伝承されている。
この地に川島百太郎という旧家があり、徳川時代、この家(当主定右衛門)の女人が将軍家御奥の局方に奥女中として永年実直に奉公した。永暇を願い出て帰宅の際、局から労をねぎらって下賜された八幡大菩薩像を持ち帰ったが、後に民家に祀るのをおそれて正八幡宮に奉納した。そのため正八幡宮の本尊と誤伝されたという。
明治初年の神仏分離で正八幡宮は太田神社と改称。隣接の長勝寺は別当職を退き八幡大菩薩像を同寺に移した。先年この像があまり古くなったので、ある塗師に塗り替えを依頼した。塗師が旧箔を落とし始めると、急に気分が悪くなって疾病についたので、像を住職に返すとたちまち病気が治った。住職が不思議に思って像を調べると、背部に「那須與市宗高守本尊」と記されていたという。
当太田神社は第二次世界大戦の空襲で消失したが、この像は長勝寺に安置されていたので消失をまぬがれ、昭和二十二年頃、現在の住職によって同神社に奉還された。
この像の高さは台座を含めて十五、六センチで背部の旧箔の落ちた部分に薄れていて全部は判読できないが、正八幡と那須與市宗高の墨書が確認できる。
境内石碑より。原文はこちら。

神社の裏手に広がる台地を那須原と言った為、伝説が語られるようになったのでしょうか。その為、戦前は武運長久を祈願する人が多かったと言われる。せっかくご本尊が御還りになったのですから、由緒書の御祭神も「八幡大菩薩」と書き改めても良いのではないでしょうか。

神社遠景

神社入り口。右手の立て看板には「ひったくりに注意」と書かれています。世知辛い世になったものです。

参道

境内

米軍の空爆で社殿は消失したそうですが、狛犬は無事だったようです。大きな傷も無く、素晴らしい江戸狛犬です。末永くこの地で八幡大菩薩をお守り下さい。拡大写真はこちおら。

(明治34年(1901)3月建立)

拝殿と本殿

神楽殿

稲荷神社