三輪神社

大田区大森中3-17-3 (平成24年9月8日)

東経139度44分10.28秒、北緯35度33分42.47秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
京急「梅屋敷」駅より東へ徒歩10数分の所に鎮座しています。境内社に北村神社があり大森海苔養殖業に特に功績のあった北村石見守(いわみのかみ)が祀られています。再建の年代は碑文では昭和36年、入口の掲示では昭和42年。埋め立てにより、漁業権を放棄し、海苔生産の灯が消えてしまったのは昭和37年12月のことです。朝のドラマにて、時代は昭和32年。ツケにしていた治療費の回収に来た梅子に、代金代わりに海苔を大量に押しつける(当時の大森を象徴的に表していました)。

入口

手水舎&鳥居(干し物は塗潰しました)

拝殿

子沢山、かつ巻き毛の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正7年(1918)5月吉日 青年会堀ノ内支部建設)

本殿


神輿庫

北村神社
御祭神は海苔養殖業に多大の功績のあった北村石見守で昭和四十二年九月
堀之内の海苔養殖業者が相計り再建されたものであります。
境内入口の掲示 より

當社は大森海苔養殖業に特に功績のあった北村石見守 (いわみのかみ)を祀り當地の海苔養殖業者の崇敬するところとなっております。
本場浅草海苔の中心となった當地の海苔養殖業は今より二百八十余年前の天和二年(1682)當大森村字堀之内の野 口六郎左衛門が有志と計り幕府より海苔○(竹かんむりに浜)建の免許を請けその基礎が確立されたのでありますが、その後文政三年(1820)九月十二日境界紛争から海苔○建場を全面的に改めるという海苔養殖史上最悪の事態を招いたのであります。
このような危機に際し、當大森村の窮状を理解し、海苔養殖業継續の決断を与えたのが北村石見守であり、村民の崇敬するところとなったのであります。
かくてその盡力を徳とし永く祀らうと同氏の烏帽子(大東亜戦争で焼失)を請い受け神社を建立したのが當社の起源であります。
爾来例年九月一日を建入祭と定め同氏の徳を崇め海苔の豊作を祈願し今日に至っております。
尚、現在の社殿は昭和三十六年九月堀ノ内地区の海苔業者と有志の手により再建されたものであります。
行く水や何にとどまる海苔の味    其角