熊野神社

大田区山王3-43-11 (平成24年9月15日)

東経139度43分28.76秒、北緯35度34分52.76秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR「大森」駅より徒歩10数分の所に鎮座しています。当社は元別当、善慶寺山門奥に鎮座しています。「善慶寺境内にある神社」という雰囲気を楽しめます。

御祭神 伊邪那岐命、速玉男命、事解男命

御由緒
創建の年代は明らかでない。伝説では平将門の乱の鎮圧に下向した藤原恒望に従った熊野五郎武通が当社に戦勝を祈願したといわれている。元和年間(1615〜1624)にこの地域新井宿村の地頭木原木工允が日光造営の棟梁を務めたので、その余材で当社の社殿を造ったといわれている。
大田区の文化財〈第7集〉大田区の神社 より

熊野本社
稲荷社より猶山上にあり、本社二間に一間覆屋あり、元和年中日光御遷宮のとき、地頭木原木工はそのころ御大工の棟梁なりしかば、かれへ御造営のことを命ぜられ、落成の日、御禮式の飾に用ひられし冑を神體とし、御造営の余木を以この社をつくり、熊野権權に祀れり、神體はいま別當に蔵す。練鉢のごとく紙を以はりたれたる冑にて、四十八間の筋あり、すべて黒塗にして、星には金泥をぬり、鎧は日根野形にして白糸威なり、
「新編武蔵風土記稿」第二巻 善慶寺より

写真01 善慶寺(元別当)山門

一の鳥居、右側は末社稲荷社への石段があります。

参道石段

二の鳥居&手水舎

境内

子沢山な江戸流れ。拡大写真はこちら。
(明治35年(1902)5月建立)

拝殿

差し石

拝殿内部

写真09 脇参道入口・鳥居、寛政八(1796)丙辰正月吉日 石額「熊埜宮」

神輿庫

写真02から続く、稲荷社への石段

石額「衆善稲荷」

稲荷社
本堂の背後山の半腹にあり、二間に一間、神體は三十番神の内の稲荷なり、寺の傳へに昔は社のみありて神體もなかりしに、いつの頃か何者のわざとも知らず、今の神體を納めてありしとぞ、想ふに諸国巡礼のものなどが持来りしならんと云り、前に石階ありて、其下に鳥居をたつ、
いづれも「新編武蔵風土記稿」第二巻 善慶寺より