穴守稲荷神社

大田区羽田5-2-7 (平成23年5月25日)

東経139度45分11.24秒、北緯35度32分50.38秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
京急「穴守稲荷」駅より東へ徒歩5分程の所に「環八通り」を背にして鎮座しています。当神社より南へ徒歩10分程の所、河口に羽田空港にあった旧穴守神社の鳥居が移設保管されています。

御祭神 豊受姫命
御由緒
文政の頃、鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防がしばしば激浪のため決壊し大穴があき、海水が浸入しました。そこで村人達が相談し、堤防の上に一祀をまつったところ、それから風浪の災もなく、作物がよく稔りました。「風浪が作りし【穴】の害より田畑を【守】り給う稲荷大神」と神徳を称え、【穴守稲荷神社】となりました。
東京都神社庁 都内神社の紹介 より

此の地の神御意見番と由来
江戸時代に猟(漁?)師町の名主鈴木弥五右衛門が羽田村の名主石井四郎右衛門に折衝し譲り受け羽田漁師町請負新田として幕府に願い出て開拓の許可を得たものである。要島を中心として新田開発が始められ羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の三つの町が生まれたのである。文化十二年(1815年)に至り後開発のリーダーであった鈴木弥五右衛門は、此の地に守護霊を祀ることになり、それが後世穴守稲荷として知られるようになったのです。戦後六十五年忘れられていた、此の地の大切な歴史の礎を守り通してくれているのが平和の文字の入った赤い大鳥居です。航空安全祈願だけではなく全世界の平和安全祈願であり過去現在未来を大観している羽田の氏神であることを多くの人に知って頂き羽田の歴史ある伝統文化を未来のある若い人達に継承して行きたい。
現地案内板より。

参拝の栞や現地案内板等はこちら。

西側参道入口に立つ社号標と鳥居

南側より

東側より

参道

狐塚

境内入口

拝殿前、スリムなお狐様。
(年代不明)

拝殿

本殿

奥之宮

築山稲荷

手水舎・神輿庫・納札所

神楽殿

境内の稲荷社達

開運稲荷社 出世稲荷社 稲荷大明神

何稲荷かは不明

必勝稲荷社

旧穴守神社の鳥居

この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。
しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。
米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりました。昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の傷害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。
しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。
ここに関係各位に謝意を表すとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。

嘗てこの大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅にあり、移転話は何度もあったようだが、移転しようとすると事故や、関係者が死んだりといった、祟りがあったと伝えられる、有名な鳥居です。でも今は落ち着いたのでしょうか。最近、祟りのお話は絶えて久しいようです。

羽田空港

穴守稲荷駅

狐のコンちゃん

駅出口。左に行きます。

御朱印