氷川神社

中野区上高田4-42-1 (平成29年3月7日)

東経139度40分46.33秒、北緯35度42分42.13秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武新宿線「新井薬師」駅南口より徒歩10分弱の所に鎮座しています。

御祭神 須佐之男尊

御由緒
上高田一円の鎮守として、享徳二年(1453)土地の者達須佐之男尊の御神徳を慕い、武蔵大宮氷川神社より勧請した。長禄元年(1457)太田道灌江戸城を構築するにあたり、しばしば当社に詣で、松一株を植栽すると伝わる。
東京都神社庁[都内神社のご紹介]>中野区>氷川神社 より

当、氷川神社は上高田一円の鎮守として享徳二年(1453)素戔鳴尊の御神徳を慕う土地の人々が、武蔵国一の宮氷川神社より御神霊を勧請し、お社を建てたのを嚆矢といたします。
長禄年間(1457〜60)太田道灌は、しばしば当社に詣で、松一株を植栽したと伝えられております。
この松は目の高さ幹回り約4mの御神木となり大切に保護されておりましたが、昭和十二年(1937)枯木となりました。
また、正保年間(1644〜48)に代官野村彦太夫為重が社殿の修復をしたと江戸時代、『武蔵風土記』に記されております。
古老の記憶によれば、大正初期(1912〜20)本殿の規模は一間四方にて覆屋の下にあったとの事であります。
当時氏子は100戸、境内地の面積は470平方(142坪)の小規模な神社でありましたが、大正十一年(1922)氏子より土地の寄進を受け、境内地を広げ現在の形態へと発展いたしました。
大正十二年(1923)に至り社殿新築の計画が立案され、直ちに着工、大正十五年十月(1926)遷座祭が執り行われ、今日の氷川神社の姿がほぼ完成いたしました。
また昭和十年年以降、手水舎、鳥居、石燈籠、手水盤、狛犬等の奉献がありました。
当神社は不幸な太平洋戦争による戦禍はまぬがれたものの、戦後の混乱の中にあって境内の整備はゆきとどかぬままでありました。
幸い敬神の念厚い氏子により昭和二十九年(1945)には神楽殿が新築され、以後大祭の復活など各種の復興整備が進められました。
昭和六十三年(1988)に宿願の社務所が完成し、上高田一円の鎮守として神威をととえるに及んでおります。
境内案内板 より

入口

手水舎

神楽殿

境内

参道

拝殿

鞘殿


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