氷川神社

東中野1-11-1 (平成23年8月27日)

東経139度41分10.71秒、北緯35度41分58.38秒に鎮座。

この神社は、JR東中野駅の南500m程の辺り、山手通りの東側に通りと平行に参道が南に伸びています。都会の街道沿いにありながら木々に囲まれた緑多きオアシスという感じの神社でした。

中野の氷川神社
この神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請したと伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築した伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。
祭神は素佐之男尊・稲田比売尊・大己貴尊の三柱で、例祭は九月十四・十五日ですが、もとは二十六・二十七の両日でした。
江戸時代には護摩修行が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には、獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。明治・大正期の華麗な神輿や山車の巡行はいまも語り草になっています。拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります。
中野区教育委員会 原文はこちら。

御祭神 須佐之男命・稲田姫命・大己貴命

長元3年(1030年)源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。文明9年(1477年)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。
ウィキペディア より

参道入口に立つ社号標と一の鳥居

参道

二の鳥居

三の鳥居

境内入口の逞しい狛犬。拡大写真はこちら。
(平成19年(2007)9月建立) 台座には安政とあります。失われたようです。
平成16年、参拝時にはいらしゃった、安政の狛犬。拡大写真はこちら。
(安政4年(1857)丁巳6月吉祥日建立)

拝殿

僅かに窺える本殿


脇参道の鳥居と狛犬

 

脇参道を護る狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和16年(1941)4月吉日建立)
石燈籠(万延元年4月吉祥製作)。狛犬浮き彫りの拡大写真はこちら。

塩竈神社

稲荷神社
石祠 末社
御獄神社 北野神社
青面金剛

神楽殿