西行稲荷神社

港区赤坂6-10-12 (平成20年7月18日)

東経139度44分21.67秒、北緯35度39分53.65秒に鎮座。

この神社は、氷川神社境内に鎮座しております。

御祭神 宇迦之御魂神

由緒
文政年間(1816〜1830)、町方書上の赤坂田町4丁目より録写したところによれば、町内町内自身番屋敷地内の古来からあった祠堂で本社は6尺に7尺5寸、拝殿2間4方で前方に6尺の向拝がありました。
勧請の由来は、年代不詳(享保年間ともいう)、田町5丁目に西行五兵衛と異名をもつ男あり、榎坂を通行中、甲冑を帯し弓箭を構え、狐の形をしている3寸程の鉄像をひろいとったが、稲荷の御神体らしいと云ふので、これを勧請し、五兵衛の異名を以って、西行稲荷と唱えられました。
明治以後、町の発展に伴い、大正10年(1921)9月氷川神社境内に移し、別名「火伏の稲荷」ともいい、火災除の御神徳があると称されております 境内由緒書き より。

町方書上
幕府が町の由来などを各町名主に報告させた調査書。旧幕府引継書に含まれる。幕府は文政九年に府内の地誌である「御府内風土記」の編纂に着手。町方書上はそのための資料として提出させたもの。
コトバンク より

鳥居

神額

参道

来待石で出雲型であったようです。

境内

社殿

お狐様

先代様


末社と布袋さま