港区赤坂6-10-12 (平成20年7月18日)
東経139度44分19.75秒、北緯35度39分54.33秒に鎮座。
この神社は、国会議事堂の南西1km程の辺り、首都東京のほぼ、ど真ん中に鎮座しております。隣は米国大使館宿舎となっておりテロ警戒の為か、機動隊の車も止まっていたりして、国際政治に思いを馳せながらの参拝となりました。
御祭神:素盞鳴尊・奇稲田姫命・大己貴命
厄除け、良縁・縁結び、家内安全の鎮守神として尊崇を集めています。創建は天歴5年(村上天皇 951年)。江戸時代、幕府の尊信は篤く、将軍直々の御参拝もあったようです。
現在でも東京のド真ん中にこんな静かな所があるのか?と思う程、とても緑の多い所で、日常生活の垢を綺麗さっぱりそぎ落としてくれる様な、落ち着きのある癒しの空間となっています。
由緒
天暦5年(951)蓮林僧正が一ッ木村(現赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと夢中で御祭神のお告げがあり、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことにはじまります。創祀からおよそ100年後の治暦2年(1066)関東で大きな旱魃があり、苦しむ村人たちが社に雨乞の祈願をするとたちまち雨が降りました。以来よく神事が執り行われるようになります。
江戸中期の享保元年(1716)旧徳川家出身の吉宗公が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、幕府の氷川明神への尊信は高まり、同14年(1729)吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営しました。翌15年(1730)4月26日に一ッ木村から現在地への遷座が行われ、28日には吉宗公直々のご参拝がありました。以後14代将軍家茂公までの歴代将軍の朱印状が下付されました。
明治元年(1868)、明治天皇より東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に定められ、現在では「東京10社」の一社に数えられております。
境内由緒書き より。
神社入り口
参道
正面参道の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(弘化3年(1846)丙午3月建立)
脇参道
脇参道を守る招魂社系狛犬。吽は目の前の桜が鬱とうしそう。
脇参道にはもう一対狛犬がいます。
ややメタボな狛犬ですが愛嬌のある江戸流れです。拡大写真はこちら。
(御大典記念 大正4年(1915)11月吉日建立)
石段上左右に獅子山があります。
精悍な顔で睨んでいます。拡大写真はこちら。
(明治15年(1882)6月15日建立)
二の鳥居
神額
神門の手前左右にとても古い狛犬がいます。
低い台座にお座りしています。江戸はじめ。拡大写真はこちら。
(延宝3年(1675)乙卯建立)
拝殿
本殿
九神社
桶新稲荷
山車庫
山車
絵馬もなかなか素敵です。
境内の御神木
庖丁塚
都内では珍しいほど自然の豊かな杜ですが、蚊もとても多い所です。対策を考えてから行かれるのが良いと思います。