高山稲荷神社

港区高輪4-10-23 (平成24年2月10日)

東経139度44分25.46秒、北緯35度37分29.77秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
京浜急行「品川駅」の前、JR品川駅「高輪 口」より徒歩5分程の所に鎮座しています。(両品川駅は港区にあります)ここの鳥居も3・11(東北地方太平洋沖地震)以後の新しい鳥居でした。

御祭神 宇迦之御魂神
御由緒
高山稲荷神社は京都伏見稲荷大社の御分霊 ・正一位福聚稲荷大明神の御神霊を祭祀しております。往時の文献によれば今から凡そ五百年前当地域に神社の建立を御勧請し神社を建立したと記されております。当時高輪の地形は小高い丘陵で社殿は二百数十段の石段の山峰に位置し山上の神社故高山神社と称されたと伝えられております。現在の社殿前方品川駅一帯は見晴らすかぎり海辺がつづき遠く房総方面より往き来する舟の目標となったものと記されております。(寛政年間の江戸名所絵図参照)
明治初期毛利公爵が当地に邸宅を構えるに及び同家より広大な敷地の寄進があり境内からの眺望は目を見張るものがあったと思はれ明治天皇が京都より江戸への遷都に際して当所で御休憩・御野立をなされたと伝えられて居ります。(毛利家所蔵文献参照)以下省略
境内案内板より

神社全景

社殿

実に堂々とした幕末の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(慶応元年(1865)乙丑9月吉日建立)

社殿の彫刻

神額

先代の鳥居と神額

手水舎

石燈籠 (おしゃもじさま)

「おしゃもじさま」は、縁結びの神として祀られているが、その名の由来はわかっていない。高輪の台地上にあった「石神社(別名『釈神社』)」が、高山稲荷神社に合祀されたもので、『江戸名所図会』によれば、石神横町(しゃくじんよこちょう)といわれていた。これを誤って里俗で「おしゃもじ横町」といったとされ、この名からつけられた名である可能性もある。このおしゃもじさまは、もとは切支丹燈籠で、一説には高輪海岸で処刑された外国人宣教師を供養するために建てられたといわれ、また海中より出土したともいわれる。切支丹の隠れ信仰があったことを物語る資料である。
境内案内板より


境内より見る京浜急行品川駅

江戸名所図会、高輪・品川。神社の前は海だったようです。