芝大神宮

港区芝大門1-12-7 (平成29年2月11日)

東経139度45分22.41秒、北緯35度39分15.71秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
JR山手線・京浜東北線「浜松町」北口徒歩5分。都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門」A6出口 徒歩1分。都営地下鉄三田線「御成門」徒歩5分の所に鎮座しています。

芝神明は落語「浜野矩随」(はまののりゆき)の舞台になっています。【あらすじ】腰元彫りの名人、浜野矩康(のりやす)が世を去り、ひとり息子の矩随がその後を継いだ。しかしこの矩随の作品があまりにもへたくそで、父親の代からの客たちはみなことごとく離れていってしまう。そんな中でたったひとり、芝神明の骨董屋、若狭屋だけが矩随の作品を一分の金で買い続けてくれた。ところがある 日、矩随の彫った馬の足が一本かけていて・・・・・・話はフィクション、浜野矩随は実存した人物
NHK新落語名人寄席十二か月>二月>浜野矩随 より

詳しくは「落語『浜野矩随』の舞台を歩く」へ、噺家により「母の命」がハッピーエンドにならない。

御祭神 天照皇大御神・豊受大御神

御由緒
伊勢神宮の御祭神、天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りしています。御鎮座は遠く平安時代、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建された由緒あるお社です。
古くは、飯倉神明宮、芝神明宮と称され鎌倉時代においては、源頼朝公より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代においては、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はにぎわい大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇敬を戴きました。その当時の賑わいは、広重の錦絵に窺うことができます。
当社公式ホームページ より

御朱印

第一京浜の中央分離帯

参道 社号標

参道

鳥居

生姜塚

社伝によれば、寛弘2(1005)年鎮座。もとは赤羽橋の近く、小山神明という所にあったが、慶長3(1598)年増上寺が当該地を含む敷地に移転してくる関係で、現在の地に移動。徳川幕府の保護を受け、境内や門前には、茶屋、芝居小屋等が並び、相撲や富くじの興業も行われ、賑わいをみせた。また、9月11日から21日までの祭礼は、生姜市が立ち、土生姜が売られたことから「生姜祭」、また、期間が11日間にもわたることから「だらだら祭」とも呼ばれた。祭礼では縁起物として、赤飯など食べ物が入った千木箱(杉を薄く削いで楕円に曲げ、赤・緑・青で模様を描いた小櫃)が売られた。
国立国会図書館>錦絵でたのしむ江戸の名所>芝大神宮 より

江戸自慢三十六興 芝神明生粋

芝神明宮祭礼生姜市之景

拝殿

古そうな形を残す江戸尾立。拡大写真はこちら。
(昭和6年(1931)9月建立) モデルとなる先代様がいたのでしょうか。

手水舎

境内

裏側からの入口