大鳥神社

目黒区下目黒3(平成19年3月18日)

この神社は山手通りと目黒通りとの、交差点、ズバリ大鳥神社交差点近くに鎮座しております。

景行天皇の御代、当所に国常立尊を祀った社(やしろ)がありました。日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷を平定されました。この東夷平定の折、当社(大鳥神社)に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らん事をお願いされたところ、首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治って、再び剣を持って働く事ができるようになったので、当社を盲神(めくらがみ)と称え、手近に持って居られた十握剣(とつかのつるぎ)を当社に献って神恩に感謝されました。この剣を天武雲剣と申し、当社の神宝となっております。
 当社の社伝によると、「尊の霊(みたま)が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神(とりみょうじん)として祀る」とあり、大同元年には、社殿が造営されました。当社の社紋が鳳凰(ほうおう)の紋を用いているのはこのためです。
 また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。尚、この江戸図に記載される社は九社しかなく、当社は江戸九社の一つにかぞえられております。
以上大鳥神社公式サイトより。

要するに、日本武尊伝説を創建の起源とす神社のようです。しかし社紋が鳳凰とは、どういう訳なのでしょうか。
「鳳凰は、中国の伝説の鳥。孔雀に似ているが、背丈が4〜5尺はあり、その容姿は前は麟、後は鹿、頸は蛇、背は亀、頷は燕、嘴は鶏だとされる。五色絢爛な色彩で、声は五音を発するとされる。竹の実を食物とし、桐の木にしか止まらないという。」ウィキペディアより。

つまらぬ突っ込みはこの位にして、酉の市で有名なこの神社はいつも参拝者で賑わっているようです。

神社入り口と社号標。

拝殿正面で参拝者を睨んでいる狛犬。阿吽共に大きくやんちゃそうな子狛を抱えています。拡大写真はこちら。

(大正9年5月吉日奉納 溝口石工・内藤慶雲)

拝殿正面。狛犬さんはこんな感じで高い所から参拝者を睨んでいます。

本殿。

境内社の目黒稲荷神社。

境内の青面金剛像碑等。

かってこの地にあった肥前島原藩主松平主殿守の下屋敷にて祀られ、密かに信仰されていたと伝えられる「切支丹灯籠」。