目黒不動尊

目黒区下目黒3-20-26(平成19年3月18日)

 このお寺は天台宗・泰叡山瀧泉寺といい、不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場です。天台宗座主・慈覚大師(円仁)によって大同3年(808)に開山。その後火災で焼失しましたが、3代将軍家光により再建され、その後も歴代将軍の保護を受け栄えました。お寺の境内は台地の突端にあり、清冽な清水が湧き老樹が生い繁り、独鈷の瀧や庭の池等の景勝に恵まれ、江戸庶民の信仰と行楽地として評判をとり、江戸から明治・大正にかけて繁栄を極め門前も賑わったそうです。第二次大戦の空爆で伽藍の大半を焼失しましたが本堂・仁王門・書院・鐘楼などが再建されています。焼け残った「前不動」 「勢至堂」「鐘楼」は江戸中期の仏堂建築として貴重な文化財で下が、鐘楼は昭和26年浮浪者の失火によって焼失しました。仁王門は昭和36年に建立され、前不動堂は昭和47年扁額とともに都有形文化財に指定されました。

仁王門
文久2年(1862)生まれの山犬さん親子。山犬と言っても恐いイメージは全然ありません。垂れ下がった耳に、少し垂れ眼の優しそうな目、くるっと巻かれた尻尾に細みの身体。従順な和犬…という感じでしょうか? 阿の足下に蹲っている子犬は親の庇護の下、安心して和んでいますし、吽を見上げている子は小さな脚で耳の痒いところを掻いている…、母性本能を刺激されて、なんとも言えず可愛いですね〜。    狛犬の拡大写真はこちらで
(文久2年(1862)正月建立)
仁王門裏の後藤良作、石膏で出来た狛犬。典型的な籠(この)神社型狛犬です。
(昭和53年7月建立)
境内の様子 男坂階段上り口左手の、
三匹の子狛を連れたレリーフ状山犬
丸々と太った幸せそうな子犬たちですね。
「独鈷の瀧」の水掛不動様
現在は池の工事中で、無粋な環境に甘んじていらっしゃいました。
「独鈷の瀧」の右手のお不動様
「独鈷の瀧」の水掛不動の裏側斜面の様子
沢山の不動像と共に、雑然と置かれた多様な狛犬が見られます。
階段上の承応3年(1654)建立、東京最古の狛犬によく似た狛犬も置かれていました。
吽は首が無くなり、今は阿が半ば土に埋もれた形で残されています。 いつもは「独鈷の瀧」池の両脇に置かれている、安永4年、弘化4年、そして明治17年再建の山犬も、現在は斜面に無造作に置かれていました。
首輪を付けたこの山犬も、とんでもなく離れた場所に置かれていました。
乱喰い歯で天の邪鬼のような顔つきのはじめタイプの狛犬達も、離されて、半ば埋もれるように置かれています。
「独鈷の瀧」裏斜面にいらっしゃるお不動様
立派な本堂
承応3年(1654)建立の東京最古といわれている狛犬。胸から脚にかけて年代が彫られています。何ともインパクトの強い顔つき体つきで、東京最古の狛犬といわれなくても、充分存在感があり、印象的な狛犬です。    狛犬の拡大写真はこちらで
(承応3年(1654)建立)
境内左手の石不動像
石不動像入口にいる天保11年(1840)生まれの江戸流れ。今は阿しか残っておらず、心なしか寂しそうな顔をしています。この狛犬は台座が素晴らしく、上段には牡丹の花を背景に岩の上に乗った狛犬が、下段には三匹の和犬が遊ぶ姿が彫られています。
(天保11年(1840)9月建立)
八大童子の山と、象に乗る帝釈天像?
前不動堂
台座に「神田佐久間町 石工 新八」とありますが建立年代はありません。ある研究者によると、嘗ては仁王門前の台座に、この山犬が乗っていたのでは…?ということです。今は台座が低く、何とも俯き加減のしょぼくれ山犬という感じですが、あの高い台座の上に乗れば、この程度の下向き加減が丁度下を通る人々の姿が良く見えて良いのかも?…。
神変大菩薩碑と役の行者倚像
役の行者倚像傍のブロンズ狛犬。
仲むつまじい姿に心も和みます。 甘藷講碑
この寺の墓地には江戸時代にサツマイモを普及させ、飢餓を救った青木昆陽のお墓があるそうです。
境内に聳える古木