氷川神社

目黒区八雲2-4-16 (平成23年3月24日)

東経139度40分27.48秒、北緯35度36分56.16秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東急東横線「都立大学」駅より西へ徒歩10分程の所に参道入り口が在ります。長い参道の東側は区立八雲小学校です。初めて訪れた時、絵馬堂が分からず時間がなく諦め二日後じっくりと探そうと訪れましたらすぐに分りました。紹介した2枚以外数多く有ります。

御祭神 素盞鳴尊敬(すさのおのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・稲田姫命(いなだのひめのみこと)

御由緒
氷川神社は旧衾村(現在の柿の木坂・東が丘・八雲・平町・中根・緑が丘・自由が丘・大岡山)の鎮守で、祭神は八岐大蛇退治の伝説で名高い須佐之雄命。創建年代は定かではないが、栗山家文書によると、宝暦7年(1757年)に鳥居を建てたとの記載があることから、神社の創建はそれ以前にさかのぼると考えられる。
祭礼は、毎年1月19日、5月19日、9月第3土・日曜日の3回行われ、中でも9月の祭礼では、神楽殿で「剣の舞」が奉納される。両手に剣を構え、早いテンポで舞うその姿は、古代から神霊が宿ると信じられていた剣と、須佐之雄命の八岐大蛇退治伝説とが融合したものと考えられる。
目黒区公式サイト 目黒のまつり より

通称は八雲氷川神社と呼ばれているようです。当初は「衾(ふすま)町」とする予定が、「衾」の字が当用漢字外ということで、隣の八雲学校(現八雲小学校)の名を取り、地名としたそうです。その八雲学校の「八雲」は、当神社の御祭神・素戔嗚尊が、出雲国において奇稲田姫との新居を構える際、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」と詠んだ(日本初の和歌とされる)。この和歌に由来するそうです。

旧衾村の鎮守で、祭神は素戔鳴尊(すさのうのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の3柱です。
創建の年代は詳らかではありませんが、内陣に文化14年(1817) 奉納の記載があり、また社殿の改築が安政2年(1855) に行われているところからみて、かなり古いことがわかります。
祭礼は、毎年1月、5月、9月に行われますが、特に9月には神楽殿で素戔鳴尊の“八岐の大蛇(やまたのおろち)退治の物語”を表現している「剣の舞」が奉納されます。
約200年の昔から伝わる古式豊かな舞で、太鼓、笛、大拍子に合わせて、一人の人が舞う美しいものです。
この神社は昔から「癪(しゃく)封じの神」として広く信仰され、遠く下総や相模からも参詣人がつめかけ、栄えた神社です。
目黒区教育委員会。原文はこちら。

一の鳥居

二の鳥居 三の鳥居

手水舎

手水鉢を支える力士

境内

拝殿前の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正5年(1916)9月吉日建立)

拝殿

天水鉢の台座に遊ぶ狛犬達

社額

本殿

絵馬堂

剣の舞

八岐大蛇退治

神楽殿


奥ノ宮鳥居

奥ノ宮御神木

奥ノ宮手水鉢 (文政3年(1820)庚辰2月建立)

奥ノ宮

奥ノ宮を護る江戸流れ。本社拝殿前の狛犬よりず〜と良さそうに見えます。拡大写真はこちら。
(安政6年(1859)己未8月吉祥日建立)
奥ノ宮石狐
(明治3年(1870)建立)

奥ノ宮社額

旧衾村の鎮守様。昔から「癪封じの神様」として知られ、健康を願って、わざわざ遠方から参詣に来る人のための宿泊所まで設けられていた。御神木である境内のアカガシをけずりとり、煎じてのむと咳や腹痛がなおると信じられていたそうで、そのご利益にあやかろうと木の皮をはぐ人が絶えなかったという。
昔のご神木はすでに枯れてしまったが、樹齢数百年にもなるアカガシの根株が今も神殿の裏手に残っている。また神社には八岐の大蛇退治にちなんだ「剣の舞」が伝わり、祭礼の折には二百年あまりの歴史を持つ古式豊かな舞いが奉納される。