江東区牡丹3-12-2 (平成16年11月7日)
東経139度48分3.82秒、北緯35度39分58.17秒に鎮座。
この神社は、地下鉄東西線・門前仲町駅の南東200m程の辺り、東京湾のどん詰まり、埋め立て地に近い下町と呼ばれる辺りに鎮座しております。
天正十八年(1590)に徳川家康が江戸へ入城した時に摂津の国、佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁民を江戸へ呼び寄せ、海と川の漁猟の許可を与え、江戸城へ魚類の納入を命じた。
寛政年間には漁民に隅田川河口の鉄砲洲東の干潟が与えられ、その地を故郷の地名をとって佃島と名づけ、白魚上納の特権を与えた。
その後、享保四年(1719)に富岡八幡宮の南方海浜に佃島漁民の網干場の土地が与えられ深川佃町と称した。今の牡丹二、三丁目にあたり、此処に、佃島住吉神社より分霊された小祠が祀られている。
深川佃町はその後、町屋の地になり一層発展して深川岡場所(花柳街)のひとつとなり、地名を通称「つくだ」または「あひる」と呼ばれたのである。寛政四年(1792)頃の花街の妓楼は料理茶屋が十五軒、水茶屋も十軒程あって大層繁栄した。
天保の改革により花街も一時は衰退したが、後に復興して明治維新まであったといわれている。
尚、境内の石鳥居、石灯篭は江東区の有形文化財、力石(さし石)は区の民俗文化財に指定されている。
境内由緒書 より
平成23年7月22日、剣貝さん情報追加。
神社入口
境内
厳めしいお顔の鈴しょうわ |
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社殿
車折(くるまざき)神社
祭神 清原頼業公
車折神社は京都嵯峨にあり、鎌倉時代初期に、朝廷より車折大明神の号と、正一位の送られたという由緒ある神社。学問の上達並びに商売繁盛と売掛金回収にご利益があることで知られている。
神社の石を授かり、願いを込めて神様に祈り、祈願成就の上は石を二個、先に授かった石に添えて神前に奉納するという風習がある。
合祀芸能神社
祭神 天宇受売命(あめのうずめのみこと)
車折神社の境内神社であり、芸能の神様として、芸能の上達を祈る多くの人達の信仰をあつめている。
平成23年7月22日、剣貝さんより「佃らしい情報」を戴き、作り直した上で、以下に追加致しました。ご覧下さい。
玉垣
寿司屋「佃屋」
ショウインドウ内「佃屋」
佃屋
ショウインドウ内「佃屋」