富賀岡八幡宮

江東区南砂7-14-18 (平成23年6月26日)

東経139度50分27.01秒、北緯35度39分57.77秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東西線「南砂町」駅東口より徒歩10分程の所に鎮座しています。境内に富士塚があり、その周りには石碑、力石、砲弾?があります。境内社浅間神社の裏にも力石があり、仙気稲荷神社から移されたもの。江戸名所百景を見ると海の近く景勝の地だったんですね。今は面影も無い。

御祭神 応神天皇・比売大神・宇迦御魂大神・外、五柱

御由緒
当宮は深川富岡八幡宮の元宮として、また、砂村総鎮守として広く知られており、その創建は古く、藤原鎌足の孫、藤原豊成卿が下総守に任じられ下向のみぎり、天平勝宝元年(749)に創立された区内屈指の古社であります。
当宮と深川富岡八幡宮との関係は、この地が宝六島とよばれていた寛永初期、京より永代島に移り暫く当宮を拠点に活動していた長盛法師が、当宮に奉祭されていた「八幡像」を、深川八幡宮に移し勧請したことによります。この「八幡像」は、源三位頼政、千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、管領上杉氏から太田道灌へと伝えられ、特に道灌より厚い崇敬を受けていたものであります。  以下省略
境内案内板 より

土地開発以前の平安朝末より鎮座して当地方の産土鎮守神として広く信仰を集めている。深川の八幡宮の元宮と云う説もあり当宮を元八幡宮(もとはちまん)と俗称されている。江戸期中、末時代には江戸の郊外の名所として有名となり、特に桜並木の参詣道は江戸名所図会或は広重の「名所江戸百景」によりその様子が分かる。
東京神社庁公式サイト より

神社入口と社号標

拝殿

実に堂々とした江戸尾立。拡大写真はこちら。
年代は不明なようですが、1700年代後半かと思われます。

本殿


砂村浅間神社

宮神輿

町会神輿庫

出羽三山巡拝記念碑&石祠

富士塚

昭和30年頃の富士塚

石碑&力石

樊噲石 鳳卵石・扇橋三治朗

砂村囃子