江東区猿江2-2-17 (平成23年6月16日)
東経139度49分2.6秒、北緯35度40分57.46秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
半蔵門線、都営新宿線「住吉」下車、B1出口より徒歩2分の所に鎮座しています。「猿藤太」を祀っているのは妙寿寺が管理している「猿江稲荷社」で「猿江神社」の本殿裏、道路を挟んで向かい側に鎮座しています。本殿裏にも稲荷社が鎮座していますが子細不明。
御祭神 天照大御神・宇迦之御魂神
御由緒
平安時代後期、源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)において、数々の奉勝を立てた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)という武将がいた。武勇の士と讃えられた人物であったが、此の地の入江で力尽きてしまった。これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て葬った。此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の社名になったと伝えられる。神社としての正確な創立年代は不詳であるが、康平年中(1058)頃には近在の信仰を一身に集め、稲荷社として境内地五百余坪を有したという。また江戸時代には、神仏混合の風潮により京都妙連寺の末寺妙寿寺の僧侶が別当職として奉仕し、寺の隆盛とともに其の名を知らしめたと云う。昭和21年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称してからも「猿江のお稲荷さん」として親しまれている。
神社入口
拝殿
鈴昭和と招魂社系を合体させたような狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(昭和6年(1931)建立) |
本殿
本殿裏
本殿裏の稲荷社
手水舎
馬頭観音社
馬頭観世音の刻印の上より「馬」の絵を彫り、「馬方」の絵の石と併わせた、大小1対の珍しい碑が祀られている。
藤森稲荷神社
江戸時代初期には幕府の、明治時代には宮内庁の御用材蔵に祀られ、四百年余に渡り木材作業に従事する人々の厚い信仰を享けてきた神社である。藤の木で囲まれ、毎年花の咲く時期に祭りが行われていた事がその名の由来とされる。これらの縁起により、木材作業・建築工事関係の信仰が篤い。
社額
石燈篭〔弘化五年1858〕 | |
お狐様 | |
石水盤〔貞享三年1686〕
裏参道&町内神輿庫
御朱印